今朝うちの教会はこういう御言葉。
「「最初は大変なことでも、繰り返しているうち楽になります。
シミも、ゴシゴシ洗うより洗剤に浸け置きした方が楽に落ちます。」
今日は月末、仕事量2倍。だけど慌ててやらないで、少し早く出社して時間をかけてやろう。
今朝うちの教会はこういう御言葉。
「「最初は大変なことでも、繰り返しているうち楽になります。
シミも、ゴシゴシ洗うより洗剤に浸け置きした方が楽に落ちます。」
今日は月末、仕事量2倍。だけど慌ててやらないで、少し早く出社して時間をかけてやろう。
今朝はうちの教会、先生のお祈り。
「何千回、何万回と愛を注いでくれたその親を愛せないというのか。
親を愛せない人が、神様を愛せるだろうか。」
お盆は実家かえろ。
今日は礼拝もあるので、うちの教会朝の御言葉はなし。
関わらず3時に起きて祈る兄弟。
熱心さに関心した。←おまいも頑張れ。
先ほど御言葉が終わりました。
主日(日曜)の御言葉は週間天気予報のようなもので、今週がどう流れるかを読む大事なニュースです。
一日の御言葉は一日の始めに伝えられ、一週間の御言葉は週の始めに伝えられます。年のはじめにもあります。
トレンドは早く掴んだ者が勝ちです。
秋服の物色ももう始まってますしね。
今朝の摂理はお祈りの話。
なんで祈るかって、神様と対話するためなんですが、そんなこと出来るのかと言われれば、出来ます。
神様がどんな方かわかれば、そんな特別なことではなく、誰にでも出来るものだと納得していただけると思います。
祈る目的は様々。日々の感謝、悔い改め、決心、お願いなどなどなんでもぶっちゃけ。
僕は毎朝少しでも祈って心を決めます。情報社会ですから、惑わされずに生きるにはお祈りで決心するのが一番です。
ここ二、三日で急に夏らしくなりました。
気温がグングンと上がり、セミがミンミンと鳴いています。
聖書の中でイエス様は、いちじくの枝が柔らかくなったら夏が近い、と言いました。
いちじくの木がどんなかは知らないけど、もう夏!
今年の夏は、
仕事ーーー!!
ところでさっきのイエス様の言葉、前後を読むとこのようなことを話しています。
キリストが来るのも夏が来るのと同じように前兆があり、いつかはわからない。だから、いつも気を付けていなさい。
説明しきれてない点あったらすいません。
季節の変化も時代の変化も、はたまた為替の円高や中越沖の地震、サマージャンボの当選、腹痛ですら、世の中突然起こることばかりです。
夏が来るなら夏服を買い、円高になると分かったら円を買い、地震が起こると知ったら避難し、腹が痛くなる前に休むことが出来たなら最高です。
時代も変化します。御言葉聞いて、その支度をするんです。
今朝の摂理は、先生のお祈りを聞きました。
「全てを許すとき、理想の世界が興ります。
自分に損を被らせる人を許すとき、戦争が起こりません。
許して受け入れるようにしてください。」
「許す」って難しいことです。
第一、どうしたら許した事になるのかがわかりづらい。
「わかった、許す」と言ってみても怒りが収まらないなら、許したことになりません。
では、何をしたら許すことになるのでしょう。
先日、野球を見ていてアナウンサーが言いました。
「ああっと!盗塁を許してしまいました!!」
許すとは、相手を受け入れるという行為です。
今朝の先生はこういう話。
「相手が間違った時、心で許すこともすばらしい。だけど行動で許すときに、兄弟、恋人の関係を保つことが出来ます。
イエス様の説教は大したことがないように思えるでしょう。
しかし、実際に敵を愛してみてください、おこなってみてください。
山を10越えるほうが楽です。」
「敵を愛しなさい」はキリスト教での有名な説教です。僕も毎日実践しようとしますが簡単ではありません。
でも、本当に敵を許すことが出来ると気持ちが楽です。
人の間違いを許すことで、自分が間違えたときも許してもらえるからです。
もちろん頑固な人には許してもらえないこともありますが、それでも、「僕はあなたのことを許したからね」と自分に自信を持つことが出来、相手に振り回されなくなります。
完璧にこだわると気持ちがギスギスしてきます。
ところが、「完璧」を代名詞に掲げる神様の完璧さとは、私たちが考えるようなものではありません。
神様がつくったもの、たとえば自分の体を見てみると、結構いい加減に見えます。
指は完璧な直線ではないし、顔は完璧な左右対照ではありません。
しかしこれが完璧です。
体の中身にいたっては、直線、対照どころかかなり適当な形をしていますが、これが完璧です。
体の中にはテニスコート一面分の腸をはじめあらゆる臓器、地球7周分の遺伝子も収まっています。血管も体の隅々を通っていて、「あ、血管通し忘れた」ということはありません。
適当に見えて収納上手。
神様の完璧は、私たちが思うのより少し、奥が深いのです。
摂理の今朝は、こんな御言葉です。
「何でも詳しく見なければなりません。
昔の人は詳しく見なかったから、太陽が動いていると思っていました。ガリレオ、コペルニクスは詳しく見たから地球が動いているとわかりました。
御言葉も詳しくきかなければなりません。
神様のことがわからないでしょう。
地球が回っていることは、太陽を見てもわかりません。地球を見たからわかったのです。
太陽のような神様は、地球のような人間を見てわかるのです。」
一緒に祈るとき、神様が共にするといいます。
一緒に計画する人が多ければ、計画は成功するともいいます。
一緒に祈ると神様が共にするから、計画は成功するって話。
一人では無理でも、一緒にやるだけで成功できることがあります。