言葉は、思いを伝える数少ない表現方法の一つです。
心は十人十色ですから、言葉もいろいろ使えると表現も楽なのですが、なかなか学ぶ機会がありません。
私たちが学校や会社で学ぶのは、言葉が持つ機能の一部分です。論文やプレゼン資料の内容は、なるべく具体的であれと教えてられ、必ず理論の裏付けをしろといわれます。
具体的で裏付けもある言葉には安心感があります。しかし、これだけで心は全て表現しきれません。「理由なんかない!」そういう思いがあります。
私たちは、具体例に拠らない言葉を学んできませんでした。そのせいで「なんか」「ていうか」「みたいな」という表現ができたのかもしれません。
摂理では、この、具体例に拠らない言葉も学んでいます。聖書にはとても抽象的なことが書いてあるでしょう。摂理で教えてくれている先生の御言葉も、時に抽象的です。それは、語りきれない思いが隠されているからです。「なんか」という言葉は使わず、とても絶妙に気持ちを表現しているので、その言葉に感動するのです。