今日の話より。
「管理を労働だと思ってはいけません。花を買ってきたら水を与えなくてはいけないでしょう。水を与えるより他のことをした方がよいというのなら、花の意味がありません。花を見たいと思って花を買って来たなら、管理をしないといけません。」
何か欲しいものを得る度に仕事が増えることがありますが、それも楽しみの内だと思ってやらないといけませんね。
今日の話より。
「管理を労働だと思ってはいけません。花を買ってきたら水を与えなくてはいけないでしょう。水を与えるより他のことをした方がよいというのなら、花の意味がありません。花を見たいと思って花を買って来たなら、管理をしないといけません。」
何か欲しいものを得る度に仕事が増えることがありますが、それも楽しみの内だと思ってやらないといけませんね。
今朝の話は、
「昔も今も未来も、基本的なことは変わりません。私たちの行動が変わらないと何も変わりません。」
安倍政権から変わっても、私の生活ががらりと変わるわけではありません。
自分の生活を変えるのは、最終的には自分自身です。
今朝の話は、
「自分のものを、神様のものだと思って使いなさい。自分の家も神様のもの。すると神様が来て投資して下さいます。」
自分のものとして使うのと、神様のものとして使うのとではどういった違いがあるでしょう。
例えるなら、家と店舗の違いです。買った土地に家を建てれば自分が使います。そうはしないでお店を建てれば人が使います。自分では使えなくなり、内装を凝ったり掃除したりと気を使うことは増えますが、そこを使った人が少し投資をしてくれます。
人のために使った方が自分にとって良いように、神様のために使うことも自分のためになります。
今朝の話は、
「生活を通して祈っています。祈って悟ったことは、人のどんな話より深いです。」
先生の話の多くは体験を基にしています。
学校で教えてくれることより、体験から学んだことの方が、心にしみます。
病気で更新をお休みしていました。
今週の主日の中に、
「病気になることも神様が助けることです。他の病気の人のために、祈ることができるからです。」
という話がありました。
病気の人の気持ちが分かったのは収穫でした。