イスカリオテのユダ

イエス様の弟子の一人に、「イスカリオテのユダ」という人がいました。
イエス様から、12使徒(選抜メンバー)の1人に選ばれ、財布を預かっていた人、そしてイエス様を裏切り、十字架に掛けるきっかけを作ってしまった人です。
今日感じたのは、イスカリオテのユダ、中心がずれていたのだろうな、ということです。
聖書を見る限り、ユダはお金に執着があります。
マリアがイエス様にしたことに対して、「なんのためにこんなむだ使いをするのか。それを高く売って、貧しい人たちに施すことができたのに」マタイ26:8他
と言っています。
本来イエス様を中心にすべちところが、お金がより中心にきてしまった。
結果、イエス様をお金で売ってしまい、十字架に掛けてしまいます。
何を中心にするかで、人の行動は正反対になります。
欲しい物がある人はお金を出してそれを得るし、お金が欲しい人は大事な物を出してお金を得ます。
ユダの場合、お金を中心にしたので、イエス様を売ってお金を得ました。
その結果自殺に追い込まれました。
本来は、お金をだしてイエス様のために使いイエス様の人気を独占して「いや、当然のことをしたまでです、ははは」というべきでした。
何を中心にするのか、恋人、仕事、家庭、いろいろありますが、中心を何にするかで自分の行動が変わり、それによって得るもの、代価として払うものが大きく変わってきます。
何を選ぶべきか、「これか、あれか」が重要です。
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河相我門

経済誌に載っていた河相我門さんの言葉で、
「お金は自分の方へ寄せようとすると、水と一緒で離れていってしまう。だから自分から離そうとしよう」
というものがありました。
これを読んで、愛も同じだなと思いました。
愛を受けようとするばかりではどんどん離れていってしまう、だからまず与えなさい。
イエス様の言葉と同じです。
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ストレスへの対処法

最近、「考え方次第で天国にも地獄にもなる」という言葉をよく聞きます。
同じ世の中を生きていても、ある人は「こんな世の中」と思い、ある人は「この世はデッカイ宝島、そうさ、今こそアドベンチャー」と思います。
僕は昔は前者でしたが、今は後者になりました。
御言葉を聞き、発想の転換をするようになったからです。
ゴミも、使い方次第でリサイクル出来たり、エネルギーに転換することが出来ます。
ゴミをゴミとして見ないで、エネルギーとして見ようと発想の転換をする。
ストレスが溜まった時も、「あいつムカつく。このストレスどう対処しよう」とストレスをゴミのように思わないで、利用の方法がないかを考えます。
この記事も、ストレスが溜まったから書こうと思いました。
溜まったエネルギーに任せて記事を書いています。
この記事を誰かが読んで、その中のほんの一部の人でも「ふーん、そういう考え方もありだね」と思ってくれたら感謝です。
その瞬間、ストレスは無駄なものではなくなり、有益をもたらしたのだから、お金になります。
先生は、こういう発想の転換のプロです。
どう考えても悪い状況を、喜びになるように変えてしまいます。
ストレスが多い時代です。
ゴミ問題の対応としてリサイクル事業が重要性を増しているように、ストレス社会への対処法として「発想の転換」というのが重要です。
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摂理人が考えたこと

今日、僕が考えていたのは、摂理で教わる「条件代価」について。
摂理では、いや摂理でなくても、何かを得るには代価を払わなければいけません。
何を得るにも、基本的には何かを払わなければいけません。
だから、何を得たいのか、中心を何にするかが問題です。
欲しい物がある人は、お金を払ってそれを手に入れようとするし、お金が欲しい人は、大事なものを売ってお金を得ます。
お金を中心にするか物を中心にするかで、行動が正反対になります。
何を中心にするかは人それぞれですが、中心を間違えると、大事なものを払って要らない物を手に入れかねません。
常に、自分の中心がずれないようにすることが大切です。
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チョンミョンソク先生の言葉より

チョンミョンソク先生の言葉より。
「ありふれているもののありがたみは、わかりづらいものです。
イエス様の弟子のピリポは、神様を見ることを望んでいました。
だから、イエス様は『私を見た者は、神を見たのだ』と言いました。
しかしピリポは実感できませんでした。
わかるようになったのは、イエス様が亡くなってからです。
本人を見ながら気がつくのは難しいのです。
ありふれたもののありがたみは、わかりづらいのです。」
神様の働きは、あちこちで起こっていますが、あまりに自然で当たり前のように起こることなので、なかなか気付けません。
しかしよくよく考えれば、世の中毎日ありえない奇蹟の連続です。
今日も1日無事で過ごせたことに感謝。白いご飯を食べられたことも感謝感謝です。
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摂理 チョンミョンソク先生の話2

「何も食べられないでいたときは、塩をなめただけで飛び上がるほど力が湧きました。
本当に飢えた人ほど食べ物の有り難みが分かります。
修道生活をしていたときは、側に誰もいませんでした。
ネズミが通るだけで嬉しかった。
価値を取り戻さないといけません。」
『ホームレス中学生』売れてますね。段ボールを食べていた田村さんだからこそ、ご飯が食べられることの価値をわかったでしょう。
先生も食べ物の価値、人の価値を、貧しかったからこそ知っています。
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摂理 チョンミョンソク先生の話

「人生を楽観的に考える人も、悲観的に考える人もいます。
冬を楽観的に考える人もいるし、悲観的に考える人もいます。
人はどのように考えるかで決まります。
ある人は空を見上げて「空を飛びたい」と思い、ある人は土を見て「私の人生もこのように這いつくばっている」と思いました。
後に前者は詩人になり、後者は病気になって死んでしまいました。
結局、嬉しく考える人が栄えるようになっています。
希望的に考えましょう。」
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摂理の主日vol.13

摂理の今日の話より。
「イエス様は生まれた時から憎まれました。」
聖書を読むと、イエス様は生まれてすぐ、ヘロデという王に命を狙われていたことがわかります。
大変な生涯だったイエス様、誕生日は盛大に祝いたいものです。
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頑なに

「神様は絶対信じない」
と言う方もいますが
それ以上頑なに
「神様を絶対信じる」
と僕は言う