天国は作るもの

前の記事、自分でよんでもようわからん(笑)
もうちょい研かないと。
何回も校正して読める文章が出来る。
何回も校正して救い論も出来た。
何回も建て直して月明洞もできた。
何度も磨いて先生の人格も出来た。
何度も栄枯盛衰を繰り返して今の世の中が出来た。
天国は作るもの。
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目に見えるもの

目に見える現実は、誰かの夢が形になったものであり、それは過去の夢であり、そこに夢はもうない。
まわりを見渡しても自分のやりたいことが見つからないというのは、まわりにあるものが夢のかけらでしかないからだ。
私たちは、そういった現実では、その現実を作った人が過去に見た夢の通りに楽しむことが出来るが、その代わりそれ以上も以下もやってはいけない。
たとえば、ウォルト・ディズニーは夢をもってディズニーランドを作った。
私たちは、ウォルト・ディズニーが「みんなこんな風に楽しんでくれたらいいな。」と夢見た通りに楽しむことが出来る。
しかし、それ以外のことは出来ない。
ディズニーランドに飲み屋のノリで王子様にからんでも、笑いですますことは出来ない。
飲み屋の創業者も「みんなこんな風に楽しんでほしいな。」と夢見て飲み屋を興した。
私たちはその夢の通りわいわいやることは出来るが、それ以外をしてはいけないし、期待もしてはいけない。
飲み屋を、ディズニーのノリで海賊の帽子を被って散策しても冷やかされるだけだし、赤ら顔のおじさんの中にジョニー・デップはいない。
つまり、誰かの夢が現実化した結果であるこの世の中では、私たちが出来ることはその夢を体現するだけで、それは「自分が本当にしたいこと」とは違う。
最近の世の中が便利だけど息苦しいのは、私たちの行動が、「誰かがみた夢」という形で規制を受けているからである。
本当に自分のやりたいことというのは、誰か人からもらうものではなく、信仰によって内から湧くものである。
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ゴリアテ

今週の聖句を先生から教えてもらいました。
サムエル上17:41~51
ダビデがゴリアテを倒すシーン。
とてもスリリングな場面です。
ゴリアテといえばラピュタ(笑)
ラピュタが滅ぼしたと言われるソドムとゴモラも出展は旧約聖書。
そのソドムに住んでいたのがロト、ドラクエⅡの勇者。
FF4のカインも旧約聖書の人物。カインは嫉妬から弟アベルを殺しますが、FF4のカインも嫉妬からゴルベーザに。。
もういいや(笑)

その日その時

余裕がないっ(´Д`)て思っていたら、マタイ25:1からの聖句が思い浮かんだ。
先生がよくひく聖句。
油って余裕のことでもあるのかな。
いつ来るかわからない「その時」に対する余裕。
カツカツでやってると「その時」には何もなくて、「なんで今やねん!」と言って倒れるだけだと思いました。
この聖句に関しては先生がいろいろ教えてくれましたが、今日、今、私が感じたこと。
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