電気は、もともと自然の中に存在しました。
昔は、たまに空をピカっと光るものだけが電気でした。
それが、数々の発見と発明によって、いつでも使い、好きなだけ享受することができるようになりました。
電気と同じように、愛や良心というものも、もともと存在するものです。
しかし、私たちは接し方を知らないので、愛や良心はたまに燃えるだけだと思っています。
いつでも使い、好きなだけ享受できるようになったらどれほど素晴らしいでしょうか。
そうなれば、現代の心の貧困は解決するでしょう。
愛をいつでも享受できるようにするための発見や発明は、信仰や御言葉があってこそ、成し遂げられるだろうと思います。
肉と霊は速さと存在期間が違う 〜摂理の便り〜
食べ物が口に入ってから消化吸収されるまでは数日かかります。
その食べたものは5年後の自分の体質を決めます。
その体で約80年生きます。
これが肉の世界です。
情報が頭に入ってから消化されるのは瞬間です。
その学んだものは一生の自分の精神を決めます。
その精神は自分の子供、子孫まで生き続けます。
これが精神の世界です。
波長や霊、御言葉に触れると光より速く処理されます。
その言葉がこれからの1000年を決めます。
その霊は永遠に存在し続けます。
これが霊の世界です。
電気から受けた啓示 〜摂理の便り〜
電気は、移動することでエネルギーを生みだします。
人も、活動することでエネルギーが生まれます。
「血」から受ける万物啓示 ~摂理の便り~
朝起きたら、寝ている間に引っ掻いたのか、手から血が出ていました。
血はもう固まっていて、かさぶたになっていました。
かさぶたは、傷が治るまでここにあって、体をバイ菌の侵入から守ります。
このことを思ったとき、
「保護はイエス様」
という言葉が浮かんできました。
血液の役割は、主に「保護」と「仲介」です。
保護としての血液は、侵入者に対して体を保護し、また体内に入ってきた侵入者へ攻撃をします。
仲介としての血液は、摂取した栄養や酸素を身体中に行き渡らせ、体のあちこちから出た老廃物を運びだします。
血液の保護がなければ、体は外部の驚異に晒され、血液の仲介がなければ、体のあちこちで栄養不足が起こり、また老廃物を洗い流すことができません。
血液のおかげで、体の各部位は一つになり、生命活動が維持できるのです。