会社の同じ部署に新しい人が入った。
仕事の引き継ぎをするためだ。
一緒に仕事をしながら教え、昼休みも一緒に食事をする。
すると当然のことながら、公園には行かない。
誘うわけにはいかない。
もしかしたら、二度とあの公園に行く機会は無いかもしれない。
唐突だけど、去り際というのは、常にそういうものなのかもしれない。

会社や実家では昭和のことを知る機会が多い。
最近ちょうど、昭和の戦争がどれほど無茶だったかを学んだ。
明治時代、維新に成功して海外の驚異をはね除けた日本は、いち早く近代化した。
その後「眠れる獅子」と呼ばれた大国、清との戦争に勝ち、世界最強といわれたロシア帝国のバルチック艦隊をことごとく沈めるという奇跡を起こした。
第一次世界大戦でも戦勝5か国に連なり、国際連盟の常任理事国にもなり、かつての極東の農業国は、立派に先進国の仲間入りを果たした。
そこまでは良かったが、いつからか「このままいけるじゃん」と思い込むようになり、欲を出した。
中国に駐屯していた関東軍は、満州の権益を広げるため、独断で張作霖を爆殺した。
続いて自分で敷いた鉄道を自分で爆破して中国人のせいにした。
乗りに乗って日中戦争をはじめ、どんどん戦線を広げた。
北はモンゴルの国境まで手を出し、ソビエトと交戦した。
が、そこで思わぬ敗戦を喫した。
戦争は長期化し、国際世論は中国に同情的になった。
事態を早期に収拾させるためにドイツと手を組んだのが裏目に出た。
ナチス・ドイツがポーランドに進駐したため、日本は否応なしに世界大戦の渦に巻き込まれ、敗戦への道を突き進んでいった。
日清、日露戦争では国力の劣っていた日本が勝利した。
太平洋戦争もそうなるはずだった。
しかし大敗北したのは、戦争のきっかけが欲のためだったからだろう。

すずめは今、子育ての時期のようだ。
お母さんすずめが、やっと飛べるようになったひなを何匹か連れてパンをもらいにやってくる。
パンくずを投げると、母鳥はそれを小さくちぎったり潰したりする。
その間、ひなたちは口を開けて鳴きまくっている。
母鳥がひなの口にパンを突っ込む。
するとひなは鳴き止む。
しかし、もらえなかったひなは母鳥にタックルする。
もらえたひなもすぐまた鳴きまくる。
母鳥がパンを突っ込む。
鳴き止む。
タックルする。
鳴きまくる。
その繰り返しだ。
子育てが大変なのは、どの世界でも同じようだ。
ひなは、僕にはパンくずを求めない。
パンくずを投げてやっても、食べ物なのかわからない様子で、ぼやっと突っ立っている。
母鳥からしか餌をもらわないようだ。
そうやって食べられるものを学んでいるらしい。
いくら僕が「これは食べ物だよ」と言ってもひなには通じないが、母鳥が教えることで、ひなはパンが食べ物だということを理解する。
ひなと母鳥と人間の関係は、人間とイエス様と神様の関係に似ている。

雨が降っていた。
雨が降る日は公園にはいかないし、鳥にパンをあげることもしない。
ただ一度だけ、ふと思い当たるところがあって公園に寄ってみたことがある。
そしたら思った通り、ヒヨドリが滑り台の上に止まってパンを待っていた。
「今日はなしだよ」と言って公園を離れたが、たぶん理解出来なかっただろう。
「来てすぐ行くなよ。ずぶ濡れで待ってたんだぞ。」
と思っただろう。
おそらくヒヨドリは、土日も待っていたに違いない。
「人間て気まぐれだよ。俺はちゃんと毎日滑り台に来てるのに。」
と思っただろう。
鳥が人間の事情を知らないように、人間は神様の考えを知らない。