理論と実践は違う 摂理の便り

摂理で教えてもらったことの一つに、
「理論と実践は違う」
というものがあります。

理論上は正しく見えるけど、
実践してみると間違っている。

理論上はできそうだけど、
実際やってみるとできない。

このようなことはたくさんあります。

たとえば
「猫は高いところから飛び降りる時、必ず足を下にして着地する。」
という習性と、
「バターをぬったトーストをうっかり落とすと、必ずバターの面が下に落っこちて床を汚す。」
というアノマリーを組み合わせれば、
理論上は、永久機関が可能です。

本当に御言葉はすばらしいですね。

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摂理の聖地で泳ぐ

今夏は月明洞に行く予定がありませんが、一度は月明洞の池で泳いでみたいです。
僕は真面目にやっていませんが、体作りに水泳は最適です。
全身を使うのでバランスよく筋肉がつき、腰をひねるので腰回りの肉に効果があります。
僕が過去に見た競泳選手は、みんなトイレマーク並の逆三角形でした。
また、腕を回すので五十肩に効き、膝の負担が少ないので年をとってからも続けられます。
なので、先生が年をとられても水泳は続けられますが、多分、先生はそんなの関係なく全部のスポーツに参加するんでしょうね。

得たものを失わないために

肉体も栄える、という御言葉を聞いて楽しい気持ちで家に帰ったのですが、そこでもっとも気分を害する生き物に出会ってしまいました。
ゴ●●●です。
御言葉で力を受けたのに、なんかもう、残念な気分になってしまいました。
思わずカッとなって洗剤をかけまくり、トイレに捨てました。
「善はいつも悪にやられる」とか「腐ったものが新鮮なものを腐らせる」という言葉がありますが、そのことが感じられました。
価値のあるものを得たときは、それを害する要素から完全に分けないといけない、と思いました。

独り言

他の教会にお邪魔する機会があり、はじめて行く場所だったので場所を教えてもらったところ、そこは、僕が初めて社会人として働いた会社があったビルでした。
当時の通勤経路を久しぶりにたどっていたら、昔の僕の姿が見えました。
うんざりした様子で、会社に吸い込まれるようにとぼとぼ歩いていました。
あの時、会社に使われる人生が嫌で仕方なくて、独立を考えるようになりました。
今の職場が快適なので夢を忘れがちになっていましたが、霊的な独立を果たしたら、僕個人も・・・と考えてしまいました。

霊を栄えさせるために

元アスリートの同僚が全力で走って肉離れしました。
僕が「僕はいくら全力で走っても肉離れしないけど、なんでそうなるの」と聞くと「体育会系は積んでるエンジンが違うから」という答えが返ってきました。
馬力はあるけど、なまった体がついていけなかった、ということらしいです。
先生が話される比喩で「ポルシェのエンジンを積んだ中古車」というものがあります。
その心は「霊は強いけど体が弱い」ということです。
これを考えると、霊の力を発揮するにはフィジカル面やメンタル面、他様々なことを強くしなければ、と思います。

自分が受ける祝福 摂理の便り

ポンソクさんの月明洞話を聞いていると、
誰もこの人には敵わないと感じます。

経緯が多すぎます。

これから1000年、永遠に、ウォルに関してポンソクさんを越える人は出てきません。

たとえ僕がポンソクさんを越えようとして、
一生を懸けウォル開発にすべてをささげても無駄です。

いまさら遅いのです。

ウォルに関する主の許諾、内定はすでにポンソクさんに出ています。

2012年は、それぞれの行いに応じた内定が出る年なんだと思います。

チョウンさんも、先生も、主からいただいた祝福が明らかになりつつありますね。

大切なのは、自分に許された祝福に対して「最後まで行いなさい」だと思います。

そして、人の祝福にチャレンジしないことも大事です。

「最後まで行えば叶う!月明洞王に俺はなる!」と息巻いても、使命者に迷惑なだけです。

摂理の御言葉は変わった?

幼かったころ、こんな体験をしました。

ある日、何かをお願いしに母親のところに行きました。

母はいつも僕の味方になってくれる人で、そのときも快く「いいよ」と言ってくれました。

僕は気分を良くし、父親の許可もとろうと父に話しました。

ところが父はまったく聞く耳を持たず、許可してくれませんでした。

あせった僕は、母の援護を得ようと、母に父のことをちくりました。

すると母は急に険しい表情になり、僕を叱り、
挙句の果てに許可を取り下げてしまいました。

このときのショックや、いまだに覚えているほどです。

意見をコロコロ変える母に腹が立ったし、
何より母の意見を変えた父に対して、
言いようのない怒りと無力感を味わいました。

これは、学術的にはエディプスコンプレックスといいます。

子供が同姓の親に持つコンプレックスのことです。

母の意見が変わったのは、父を愛していたからでした。

子供心には母が変わったように見えましたが、母自身は何も変わっておらず、
いつもどおり父に合わせただけでした。

今となっては、本当によい夫婦だと思うばかりです。

御言葉が変わったように思うのも、これと同じくこうだと思います。