上の次元。
大変で、難しいが行えば得ると仰いました。
私も上の次元で行おうとしています。
ただ、ものすごく大変です。
それに、時間がかかります。
例えるなら、簡単に喜んでもらおうとするなら3分でカップラーメンを作って出せば良いのですが、いいものを差し上げたいと思うので、何日も前から仕込みをしているんです。
その間、目立つことがありません。
人の理解や協力も得られません。
むしろ疑われることの方がずっと多いです。
完成したら、天に栄光を帰し、多くの人に有益があります。
しかし、その時にそばに誰がいるのかはさっぱりわかりません。
三位以外、誰がいるかはわかりません。
今、近くにいる人は1人もいないかもしれないし、いるかもしれません。
ただ、多くの人が近くにいることは確かです。
その人と一緒に喜びたい一心で、今は何があってもどう思われても関係なく頑張っています。
先生も、今登っていらっしゃる山を登り切ったら群衆が待っていることがわかるから頑張るんだと仰いました。
しかし、その群衆とは特定の誰かをさした言葉ではありません。
途中で先生に愛想をつかして出て行く人、反対に希望を見出してついてくる人、いろいろいるんです。
自分がその中にいるかは、自分次第です。
囲碁と自分の時と摂理
昨日、礼拝後に帰省しました。
囲碁好きの父が、いつものように碁の対局を見ていました。
黒が一手打ち、白が一手打つ。そしてまた黒が一手打つ。
お互い、自分の番が回って来た時に最高の一手を打つ。
相手の時には何もせず、目を碁盤の上にやって真剣に考えていました。
これを見て、今週の御言葉を思い出しました。
そして、自分の時に熱心にやらなければ大変な目にあうという言葉の意味がわかりました。
自分の時が終わったら、相手の時です。
勝負の世界ではこれが公義です。
自分の時に怠けていたらどんどん相手が有利になります。
サタンとの戦いにおいて、気をつけなければならないと感じました。