つらいことを解決する方法 摂理の便り

先生が30歳くらいのころ、あまりにもつらいことが多くて泣きながら祈っていたときに受けた、神様の答えがこれです。

「天の前で、私はハン(「恨」・・・単なる恨み辛みではなく、あこがれや悲哀など様々な複雑な感情)が多いものだと泣き叫びながら祈った。冬だったので、ものすごく寒かったが、私にはそのくらいの寒さは問題ではなかった。私の人生を嘆きながら、無学で貧しいハンからぶおとこのハン、踏みにじられるハン、青春のハン、愛のハン、民族のハン、兄弟同士の間に生じるハン、親孝行できなかったハンなど、本当にハンの中に埋まって生きてきて、本当に悔しくて、これ以上人生を生きることができないと祈った。私のハンを晴らしてくれる人がいれば、一生その人のために働くと決心した日だった。その時、主が現れ、悟らせてくださった御言葉だった。「神様は6千年の間ハンを晴らせなかった。そのハンを晴らして差し上げれば、あなたのハンも私のハンもこの世のすべてのハンもはれる」とはっきり話してくださった。」天の言葉私の言葉第1巻箴言501番より

亀の夢と摂理で夢の意味が解けた話

夢に亀が出てきました。

日曜の御言葉に出てきたほどではありませんが、大きな亀でした。

私はその亀を探していました。

あちらこちら、亀を見つけ出そうと走り回っていました。

そして、ついに見つけました!

目が覚めました。

時計を見ると、明け方のお祈りをするにはちょうど良い時間でした。

ふーよかったよかったと思い、安心した私は二度寝しました!

夢の中で、見つけ出したと思った亀は逃げていました。

しまったと思って私はまた走り出しました。

もう見つけられないのではないか、時間があまりない気がしました。

そして、亀は山の上にいるような気がしたのでその山を登っていくと、頂上に探していた亀がいました。

手足をばたばたさせて私から逃げようとしていました。

でもあんまり速くなかったので、「やれやれ」と思ってその亀を捕まえました。

そこで目が覚めました。

時計を見ると、明け方の礼拝にぎりぎり間に合う時間でした。

夢の世界で亀を捕まえたので、現実でも明け方の時間を捕まえられました。

一度目に亀を見つけたときは二度寝してしまい、起きる機会を逃してしまったので、夢の中でも亀は逃げてしまいました。

夢と現実のこういったつながりって不思議ですよね。

日本では「正夢」とか「初夢」とか、夢に神秘的なものを感じる風習がありますね。

これは聖書の世界でも同じなんです。

たとえば創世記には、エジプトの王が自分が見た夢が気になって国中から人を集め、また囚人にもどういう意味かを聞こうとしたという記述があります。
夢を解いたヨセフという人物はエジプトの総理大臣になってしまいました。

もっと有名なところでは、イエス・キリストの父ヨセフが母マリアを妻に迎えるか悩んでいたところ、夢で「心配しないでマリヤを妻として迎えるが良い。」と言われてその通りにし、イエス・キリストを産むようになった経緯がマタイによる福音書に書いてあります。

他にも夢や幻についての聖句は山ほどあって書ききれません。

夢には本当に意味があって、私たちにいろんな示唆をしてくれます。

じゃあ実際夢ってどういう意味があるの?

どうしたら意味がある夢が見られるの?

どうやったら見た夢の意味がわかるの?

夢ってそもそも何なの?

そういうことを、摂理では知ることができます。

夢は脳で起こるものなので、いずれ科学でも解明されるでしょう。

しかし、それは私たちが生きている間に起こるでしょうか。

今、先生を通して簡単に学べてしまうことがちょっとありえません。

摂理で学べるものとは

「今、新しい歴史は独立した。それなのに、あのときの習慣と体質をそのまま持っていたら、歴史が独立して平和な時代が来ても、同じアベル同士、同じ兄弟同士が戦い争うようになる」

争う時代はもう終わったから、古い体質はもう捨てないといけません。

これから先、争う性格をそのまま持っているのは、戦争が終わったのに気がつかないで銃を持ってジャングルをさまようようなものではないでしょうか。

しかしそうは言っても、何があっても争わないというのは本当に難しいことです。

自分の性格が完全でないせいもあるし、家族や周りの環境がそういう環境だった人もいるだろうし、何より人類史はじまって以来ずっと争ってきた歴史なので、その体質が染み付いているというのもあります。

これは摂理では遺伝罪と呼んでいます。

この問題について、日曜日に一つの答えが与えられました。

私もはっとしました。

自分が争ったり憎んだりすることで自分だけが損をすればまだ良いのですが、そうではないんですよね。

自分が大切にしている人、その人にも影響が及ぶんです。

今週は続けてこのことについて学ぶ良い機会が与えられました。

御言葉から直接指導を受けて、漸進的に一つ一つ解決していきたいと思います。

平和に関して学ぶには、先生を通してしかありえません。

人は平和を口では語りますが、どうしても最終的には「自分が大事」になってしまうことが非常に多いと、今までのいろんな経験を通して感じています。

自分が安泰なときはいくらでも平和に過ごせますが、ひとたび状況が悪くなると自分の保身に突っ走る。

そういう人をたくさん見てきましたし、今現在平和を語っている人のほとんどがそうでしょう。

しかし先生は、戦争で銃を突きつけてきた人に駆け寄って抱きしめた人です。
乞食を家に呼んでもてなした人です。
どんな環境でも、健康が悪化しても、耳を傾ける人にはその人の悩みを解決する人です。

今もそうしています。

世の中で他の誰を通して真実な平和を学べるでしょうか。

雷鳴の轟くような声と摂理の御言葉

すごい雷でした!
黙示録には「雷鳴の轟くような声」という表現がよく出て来ますが、あの、空を裂きながら頭上を駆け抜ける轟音は御言葉に例えられるんですね。
御言葉は愛のメッセージ、というのでそういう方向に頭が固まっていましたが、ちょっと自分の認識を改めないといけないと思いました。
昨日の御言葉はまさに雷鳴のようでしたね。
御言葉もどんどん次元が上がっていきます。
先日までは心が根本だと仰っていました。
これは、一般によくいう「メンタル」や「マインド」とつながる話なので馴染みやすかったのですが、昨日、さらに根本の話が出てきました。
「心は決心しても変わりやすい。だから。。。」
いつも三日坊主でモチベーション維持に苦労している人は、昨日の御言葉を実践すれば絶対変わります。
そういえば、条件のお祈りも三日を過ぎましたね。
もうすでにつらい、、、そういう時こそ昨日の御言葉の研究、実践、条件です。
これからも先生の御言葉に目が離せません。
いや、耳が離せません!

怖い夢と摂理

嫌な夢を二つも見ました。

一つは、私が数人と劇場にいましたが、その中の恋人が他の男を連れてデートに出て行きました。

しばらくして、男は得意な表情で胸を張って戻ってきました。

恋人はトイレに入って、舞台に上がる準備をしているようでした。

私は何も言わないで、どうしたら良いか分からなくて、ショックを受けていました。
そしてなぜか、「寝る前にブログを更新しておくべきだった」と考えていました。

続いて、私は実家にいました。
チャイムが鳴りました。

母が出ましたが、反応がありませんでした。

突然、サイレンが鳴り始めました。

瞬間、窓の外に黒い影が走るのが見えました。

私は「泥棒だ!」と叫びました。

何度も叫びました。

しかし母はゆっくりと玄関に向かって歩いていました。

泥棒は家の周りをぐるぐる回っているようでした。

そこで目が覚めました。

息が上がっていました。

すぐにお祈りをしました。

私には啓示を受ける能力はありませんが、いくつか感覚がありました。

そして夢の中で「ブログを更新しておくべきだった」と後悔していたこと、
また、御言葉で「すべきことをしていないとき、それが夢で敵となって現れる」
とあったことが閃いて、とりあえずブログを更新することにしました。

よくわかりませんがこれが条件になるのでしょうか。

分析をしてみると、夢は二つとも奪われる夢でした。

奪われることについて、最近悟ったことがあり、それをブログに書くべきなのかもしれないのでとりあえず書きます。

会社で、これまで座っていた席の隣にはオタクの女性が座っていました。

この女性は、自分がオタクであることをはばからないオタクで、自分のはまり具合をネタにして周りを楽しませていました。

私もそのオタク女子の自爆っぷりが面白くて、よく話を聞いていました。

御言葉では、脳は、見たもの聞いたものをそのまま貯蔵するといいます。

あの時は気づきませんでしたが、私は、話をあまり聞かないようにするべきでした。

なぜなら、2週間前、私の所属部署が変わり、オタクさんと会わなくなってから、今まで彼女の影響を大きく受けていたことに気づいたからです。

脳は見たもの聞いたものをそのままインプットします。

今までの私の脳は、少なからずオタクさんの影響下にありました。

御言葉を聞いていなかったら、その影響はもっと大きかったでしょう。

誰でも、まわりに面白い人がいたら、軽い気持ちで連絡を取ってみたり、話をしたいと思うものです。

笑いは息抜きには大事です。

しかし、そのことによって、相手の影響にさらされるということを意識しないといけません。

面白い人はあたかも自分より低い存在に見えがちで、一緒にいると優越感を感じますが、実は自分が相手に動かされていることを知らなければなりません。

自分も知らないうちに、だんだんと相手の考え方、癖が自分に移ってきます。

これは本当ですよ!

私は今まで、とにかくなんでもギャグにしてしまう人のそばにいて、そのことを痛感しました。

その人が自分にどんどん入ってくるのです。

最初は面白くて、もっと面白いことを言えと思っているくらいでしたが、
いつしか相手に自分が占領されていることに気づき、とても怖い思いをしました。
最後には、大きな対価を求められます。

今回、そのことを改めて感じました。

みなさまもご自身の脳をお大事になさってください。

今日、自分の悔い改めの話を書きました。

これからも自戒のためにこういったことを書くと同時に、人の悪い癖も書いていこうと考えています。

もちろん、批判的な視点をもってではなくて、愛を持って書きます。

そうすることで、読者には教訓になり、当人の自戒にもつながると考えるからです。

何より、先生がご自身の悔い改めのエピソードと、さまざまな信徒たちの罪を御言葉で載せてますから。