交通は双方向 摂理の便り

交通って言葉には、お互いやり取りするって意味が含まれていますね。

だから御言葉を聞いていると、今は双方向の時代なんだなって思いますよね。

歴史を振り返ると、双方向というよりは強いものから弱いものへの一方通行の期間がとても長く続きました。

王から臣下へ、主人から僕へ。

なぜそうだったのかの根底には、神様と人間の関係性がそうであったから、という理由がありました。

イエス様も神様の息子だったから、やっぱりこの2000年も上の立場から下の立場への通行が主でした。

それが1人の条件によって、歴史的に大きく変わったんですよね。

霊界が変わったから、肉界もどんどん変わっていますよね。

たとえば、マスメディアからソーシャルメディアへ。

これからもっと変わるんでしょうね。

同等な立場だって。

楽しみですね。

御子と交通するってどういうこと? 摂理の便り

日曜日、歌手の使命を一生懸命やりすぎて御言葉をぐでんぐでんになって聞いていましたが、
映像資料で僕が好きだったゲームのBGMが流れたとたん元気になりました(笑)

男性はほぼみんな気づいたと思うんだよなあ。

「あ!フ○イ○ル○ァ○タ○ーの音楽だ!よーし、引き上げられてジョブチェンジするぜ!!」
って思った人いますか?

。。。

では、御言葉の感想を書きたいと思います。

「御子と分体と交通しなさい。
これが今この時一番急迫してすべきことだ。」

という御言葉でしたね。

初めてきた人に向けて伝えられた御言葉でしたが、長く経った人にも大切な話でした。

長い人は一度は聞いたことがある御言葉ですが、同時に完全には悟れていない御言葉です。

僕がこの日改めて感じたことがあります。

「今、この時、摂理史が一番急迫して行うべきことが、つまり「御子と分体と交通し、対話し、愛して生きること」です。
そうしてこそ、霊が根本的に生き返って、引き上げられます。」

こう仰いました。

交通することが生き返ることなんですね。

「交通しない人は死んだ人です。」

こうも仰いましたね。

この言葉を聞いたとき、僕は改めて「死」について考えました。

死ってなんでしょうね。

死ぬって、一般的には心臓が止まることですよね。

ですがこれは科学的な見地からの死の定義です。

昨日の御言葉では、交通しないことが死んだことだといいました。

これは宗教的な見地からの死の定義なんです。

死んだら、交通、つまり関係が切れますから。

そしてこれこそが本来の死の意味なんです。

なんで関係が切れることが死の本来の意味かと言うと、
心臓が止まったかどうかが問題というよりは、
それによって関係が切れてしまうことが本来的な問題だからです。

あなたにとってもそうですよね。

愛する人が死んでしまって、もう以前のように話せない、暮らせない、それが何よりも問題じゃないですか。

逆に心臓止まっても、相変わらず元気だったら別にいいんじゃないですかね。

ありえないですけど。

死ぬことによって肉体的な機能が停止することが根本的な問題なのではありません。

死ぬことによってお互いに交通疎通関係が切れてしまうこと、もう連絡が取れないこと、会えないこと、愛せないこと、これが一番つらくて悲しくて怖い、耐えられないことなんです。

誰でもそうです。あなたも、僕も。そして神様も。

死、というものの見方を変えると、そこに「関係性が切れる」という面が見えてきます。

これを深く学ぼうとしたら摂理でしか学べないですよ。

そういう意味で、今週の御言葉はとても深く、摂理の基礎であり根本、また文学的な作品でしたよね。

生きていることに感謝、そして主と交通してもっとすばらしく生きましょうね。

考えを一つにする方法 摂理の便り

「考えが高いと一つに見える」

と仰いました。

先日、考えが低いとどういうことが起こるのかを話しましたが、今日は、

考えが高いとどうなるのか

を話したいと思います。

私の具体的な体験を通した話なので、あなたにもわかりやすく伝わると思うし、簡単に実践できる話です。

僕は摂理に来てから、ずっと聖歌隊を続けています。

十年以上も。

そうして最近わかったのが、

「一人に向かって歌う」

ことの大切さです。

これができるようになってから、いつもどこでも、変わらない姿勢で歌えるようになりました。

昔は人前で歌うのが嫌で、友達にカラオケに誘われても色んな言い訳をして行かなかったり、連れ込まれても絶対に歌いませんでした。

摂理に来て聖歌隊に入りましたが、特賛というのが嫌で嫌で、毎週ド緊張してブツブツ歌い、終わると「やれやれやっと終わった」と思ってすぐ引っ込む、主もがっかりな人でした。

それが今はすっかり変わり、いつもどこでも、誰がいても、誰もいなくても、場が凍りついていても、影響されないで全身全霊で歌うことができます。

どうしてそう変わったかと言うと、

私たちが歌う賛美は、三位に捧げる賛美である。

とはっきり分かったからです。

分かりやすくいうと、あなたの歌う賛美は恋人に向けて歌っている歌なんです。

あなたのことが大好きで仕方ない恋人に向けて歌っている歌。

その恋人はあなたの歌だけを聞いています。

そしたら周りとか関係なく一生懸命歌うしかないじゃないですか。

あ、でもこう考える人いますよね。

「恋人は私の心を知っているはず。私の疲れた心も。。。私が切なく歌うとしても、その様子を見て可愛く思ってくれるはず。。。はぁと」

もちろんそれもあります。

主はあなたのことをよくご存知ですから。

でも、いつまでもそうとばかり言ってられない理由があるんです。

なぜなら、自分の行いが自分の霊を作るという法則があるからです。

熱心に行う分だけ、霊もよりよく作られます。

賛美もそうです。

映像資料でよくでてきますよね。

ふにゃふにゃ踊っている人の次元が低くて、熱心に踊っている人の次元が高いって。

あれは本当なんですよ。

あなたの行いで、霊が作られる。

これは例えるなら、あなたの胎内に子供がいて、あなたの行い次第でよくも悪くも作られるということです。

僕は男性で胎内に子供がいるという実感がわかないので、恋人のおなかに赤ちゃんがいると思っています。

赤ちゃん、あなたの歌を聞いています。

その歌を聴いて育っています。

いい子を産みたいなら、いい歌、聞かせたいですよね。

胎教ってやつです。

あなたの赤ちゃんを育てる行為なのに、周りとか気にしてられませんよね。

自分の疲れた心とか関係ないですよね。

僕は、礼拝で場が固まっていて歌いにくい場面ではいつもより必死に歌います。

赤ちゃんをダメになると思って一生懸命歌います。

霊はそのくらい繊細なんです。

こういう考え方に変わってから、賛美も変わりました。

一人を意識する、ということです。

考えを一つにするということです。

一人を意識する、ぜひやってみてください。

ちなみに、文章を書くことも最近一人に向けて書くことができるようにだんだんなってきました。

以前はあの人のことも考え、この人のことも考え、いつもブログを読んでくれている人のことも考え、たまたま訪れた人のことも考え、摂理を出て行った人のことも考え、悪く言う人のことも考え、無難に無難に書いていたんですが、

一言言われたんです。

「無難な文章が一番手に負えない」」

それからは一人に向かって書くことを意識するようになりました。

何にもアイデアが浮かんでこないとき、複雑に考えてしまうときは、
ただひたすら恋人に向けて何をするかを考えると、すっと楽になって行動できるようになります。

神様と御子とあなたしか使えない線の価値 摂理の便り

私たちの脳には神様と御子だけが使う線がある。

と仰いました。
今朝の箴言20番でした。
記録しておいたので忘れてません(笑)
神様と御子と私たちは繋がっていて、しかもそれは専用線です。
専用線ってどんなものか知っていますか?
一つの回線を、一人の人や法人だけが使っている回線のことです。
おそらく、あなたがインターネットに使っている回線は公衆回線です。
これはみんなで共有している回線です。
公衆回線のメリットは安価なことですが、みんなが使うので通信が不安定だったり、データを盗まれる可能性があります。
一方、専用回線は通信環境が安定していてセキュリティもとても高いです。
主に銀行や国家が専用線を使っていますね。
僕は通信会社に務めているので少し詳しいです。
御子と私たちの間に敷かれているのも専用線です。
セキュアで高品質な回線。
ここにサタンは介入できません。
では、専用線はどれだけ価値があるのでしょうか。
お金を使って例を挙げたいと思います。
ところで、あなたってもしかしてお金ずきですか?
なんか最近そういう波長を感じることがあるんですよね(笑)
文章を書くと読者の心を読む力が付きますよ、おすすめです。
人と対面していないですから、読者がどう思っているかとても気になるんです。
それで魂が飛んで行くことがあるんですよ。
だから、今もっとも文章を書いている人、先生は、私たちの考えをとてもよくご存知だと思いますよ。
話を戻して、専用線の価値をお金で説明します。
あなたも使っているインターネット回線は、だいたい工事費20000円、月5000あたりですよね。
キャンペーンの適用で工事費が無料になったり月会費が安くなったりはしていますかね。
では専用線っていくらすると思いますか?
公衆回線の3倍?
いいえ。
10倍?
もっと上です。
100倍?
もっとです。
300倍?
777倍?
もうちょいです。
1000倍。
通信速度にもよりますが、速いものだと毎月ウン百万かかります。
しかもそれは県内通信に限っての話で、県外や海外とのやり取りで回線がびよーんと長くなるほど途方もない額になります。
すごいですよね、たかだか100ギガの速さで県内の相手と通信するだけで毎月ウン百万ですよ。
私たちと御子は光より速い速度で疎通し、しかも二者間の距離が霊でしばらくいかないといけないほど離れていても対話できるんです!
お金に換算するといったいどれだけの額になるでしょうか。
もちろんあなたは知ってますよね。
一●千●金です。
わらってますけど、ほんとにすごい価値ですからね。
神様と御子、そして線をつないでくださった先生に感謝してくださいね。

考えの次元が低いとどんな風に見える? 摂理の便り

今日の明けがたは久しぶりに聖殿でお祈りができました。

ちょっと遅刻もしたので申し訳ない気持ちで小さくなっていましたが、
御言葉を聞いているうちにどんどん力が湧いて、考えが良いほうに流れていきました。

たくさん遊んですっきりしました。

それで礼拝でも遊びたいなあと思っていたんですが、
礼拝ではちょっと遊び、そしてたくさんの悟りが頭に浮かんできたので
それをどんどん書き留めることに時間を多く割きました。

では書き留めたことをシェアしたいと思います。

今日の御言葉は「考えの次元が高ければ一つに見える」でした。

この御言葉について、とても実感をこめて語ることができる体験をしているので、紹介しますね。

箴言の中で、視力が低い人は物体が二つに見え、、、っていうのがありましたね。

箴言88番でした。

僕は視力がとても低く、御言葉の通り物体が二つに見えたり、ぼんやり見えたりします。

裸眼で0.04しかありません。

最近極力めがねをしないようにしているのですが、それは魂の時代なので心の目で見たいっていう理由でそうしています。

では具体的にどんな風に見えているのか。

たとえるなら、印象派の絵のように見えています。

Monet

こんな感じですね。

とても幻想的なんです。

考えの次元の低い人はこんな風にぼんやりとした観念を持っていますよね。信仰的にも。

ちなみに僕はモネは好きです。
目が悪い人の見ている世界を具体的に示したくて引用させていただいています。

考えの次元の低い人は見えている世界がとても幻想的なので、神様が雲に乗って現れる、というのも信じることが難しくないんですね。

上の絵が現実だとして、その中に神様がパァァァッと光り輝いて現れたらなんか素敵な気がしませんか(笑)

天使がラッパをプーとか吹いたりしてね。

そんなのがあったらいいなってちょっと思ってしまう。

そして信じてしまうんですね。

彼らの信仰観がわかりましたね。

それから、考えの視力が低いままでいると次のような現象が起こります。

先日のバレーボール、めがねをしないでやったんですが、もう、ものすごかったですね。

みんなの次元が上がりまくりでびびりました。

誰だったか、相手のサーブ、途中で消えるんです!

いつのまに消える魔球を覚えたのかなって、度肝を抜かれました。

あと、レフトのあのうまい人。

あの人のアタックってボールが分裂するんですよ!

2020年のオリンピック目指してみないかって、いってやろうかと思いました。
東洋の魔女もビックリだよって。

・・・と、こんな現象が起こるわけですが、これはデタラメを言っているわけではありません。

そう見えるわけですから。

消える魔球は誰も信じてくれないと思いますが(笑)、世の中には巧妙な偽りがたくさん存在します。

彼らが語る言葉は本音であり、見たままを話しているわけですから説得力があります。

それで、その言葉に流される人たちが多いんですね。

彼らの言葉は正しいとも言えますが、条件があります。

目が悪いという条件を前提とした場合に限り、彼らは正しいんです。

だから、次元が高い、光の子であるあなたは見ても聞いてもいけませんよ。

「彼が偽りを言うとき、いつも自分の本音をはいているのである。
彼は偽り者であり、偽りの父であるからだ。」ヨハネ8:44

じゃあ今日も、変な人のいうことを聞かないで、主を愛していい子にしているんだよ。

数十兆稼ぐために 摂理の便り

聖霊集会でお金の話が出ていたので、お金の話でもしましょう。

きっとあなたは、世間のことなんか顧みないで働いているので、
世の中のことはあまり知らないでしょう。

だから世の中のことばかり考えている僕(笑)からシェアできることがあります。

でもお金の話なので、もしかしたら受け付けないかもしれません。

そう判断したらすぐこの記事は削除します。

期間限定の公開です。

聖霊集会で井戸を掘る人の話が出ていましたね。

井戸を掘るまでは何も得られなかったが、掘った後では数億、数十億得た、っていう話。

こんな動画があります。

ある会社の社長が僕に見せてくれたものです。

すっかりお金の話でしたが大丈夫でしたか?

たとえ話として聞いてくださいね。

お金を得る話を通して、天国を得ることを学ぶんだという気持ちで。

動画は権利収入と労働収入の話でした。

この動画を紹介してくれた社長は、はじめてこの動画を見たとき衝撃を受けて、一部上場の社員を辞めて井戸を掘り始めたそうです(笑)

権利収入は仕組みを作るまでが大変ですが、作った後に得られるものは労働収入の比ではありません。

これは霊を作る話と通じるところがありますよね。

作るまでは何も変わらない。

99%まで変わらない。

でも、100%できた!完成した!ってときからはすべてが変わります。

報われます。

そして二度と元に戻ることがありません。

私たちは「働く」というと労働集約的な働き方が浮かぶように脳が固まっています。

しかし、労働の限界ってイコールこの肉体の限界なんですよね。

       働いても働いても成果が上がらない。

       働きすぎて体を壊した。

       年を取って以前より働けなくなった。

       気分しだいでより働けたり働けなかったりころころ変わる。

こういうことに不満を感じたことが、一度や二度あるのではないでしょうか。

もっと飛び回るために、自由になるために、考えの次元を上げることをおすすめします。

礼拝最高! 摂理の便り

礼拝最高!

水曜日、週の半ば、社会人にとって一番疲れる曜日。

みんなが競って今日の残業時間を自慢する中、
視線を無視してさっさと退社しました。

しかしどうも心が疲れていました。
スポーツしたわけでもない、あの独特な嫌な疲れが取れませんでした。

帰りの電車の中で賛美を聞いていましたが疲れが取れません。

「今日はもうだめだ。御言葉を聞いたらさっさと帰って何もしないでそのまま寝てしまおう。」

と思っていました。

しかし、聖殿について、御言葉を聞き出したらなんか急に元気が出てきました。

固まっていた体がほぐれてきました。

頭の回転が速くなりました。

魂が遊びまくっていました。

ああ楽しかった。

帰ったらすぐ寝ようと思っていたけど、
これならまだ何かできます。

あまり遅くならない程度にもう一頑張りしようと思います。

こんなふうに、御言葉は力を受けることができます。

酒を飲むわけでもなく、テレビを見るわけでもなく、整体に行くわけでもなく、ゲームをするわけでもなく、スパに行くわけでもなく、パーッと買い物をするわけでもなく、ドカ食いするわけでもなく、御言葉を聞いて疲れが取れて力を受ける。

それでパフォーマンスが上がるんだから最高じゃないですか。

これは体験してみないとですよ。