上手に証するために覚えておくべきこと 摂理の便り

ハレルヤ!

昨日は、「証」について話していただきました。

証とは何なのか、証はどのようにするものなのか。

それで、御子の岩の話になって、正しい方向から見てはじめてその形が見える、他の方向から見たら形がありません、と先生が仰いました。

はっきりと見た人が「顔の形象がある面」と撮って見せてあげること、それが証だと仰いましたね。

僕はビデオカメラの使命をやるので、その方向から話をしてみたいと思います。

この前サッカー大会がありました。

ビデオ使命者なら、もちろん思い出に残るシーンを撮影したいと思いますね。

シュートシーンや、果敢にドリブルをするシーン、試合後にみんなが集まって感想を言っているシーン等です。

これが正しいことです。

これをあとでみたら、見た人も感動しますよね。

年末にみんなで見たら、一年の思い出として盛り上がること必至です。

では、ためしに正しくないシーンを撮影してみましょうか。

イメージしてみてくださいね。

サッカー大会は河川敷でやっています。

そばをおじさんがランニングをしています。

その姿をカメラでずっと追っていきます。

姿が見えなくなるまで。

・・・どうでしょうか(笑)

たしかにサッカー会場で起こったことを撮影していますが、正しい方向で撮影していませんね。

サッカー会場ではいろいろなことが同時に起こっていて、何を撮るかで残るものがまったく違います。

試合のシーン、応援する姿、休憩場面、炊き出し、久しぶりに会った人と話す姿、走り回る子供、具合が悪くてバスで休む人、何もすることがなくてさっさと帰ってしまう人、ランニングするおじさん、犬の散歩をする人、流れる川、青い空、空を飛ぶグライダーなどなど。

また、同じ試合をとるにしても、どういうシーンを撮るかでまったく違う光景に変わります。

名シーンを撮ろうと思うのが正しく益のあることですが、たとえば悪意のある撮影をしようと思ったらどこにフレームをあてるでしょうか。

ミスシーンやファールシーンですね。

そんなのばかりに焦点をあてて撮影するのが、御言葉にもでていた「悪評者たちが悪評する理論」です。

悪く言う人はこれがとてもうまいですよね。

だから私たちはそれに負けないくらい、もっと良い面を見られるよう、形のある方向で見られるよう、御言葉を読んで研究していきましょう。

ちなみに「どの方向で見るか」というのは、撮影の場面だけではなく、言葉を使うときにも重要なスキルになります。

たとえば次の2つの文章があります。

1、あの人は賛美は下手だが、サッカーが上手だ。
2、あの人はサッカーは上手だが、賛美が下手だ。

たぶんあなたは似たような例文を見たことがあるでしょう。

フレーミングの法則といって、同じことを言っていますが、視点が違うんですね。

1は良い面に焦点を当てているのに対して、2は悪い面に焦点を当てています。

どちらが正しくて、生産的なのかはあなたにはわかっていますよね。

どこにフレームを当てるかが重要です。

そして、先生はこれが超得意なのはご存知ですよね。

だからあなたも是非、こういった先生の精神を学んで、上手く証されることをオススメします。

祈ることと伝道すること 摂理の便り

今朝、明け方のお祈りの時間が変わったのを忘れていて、昨日までの時間に聖殿に行きました。

聖殿に入ろうとすると、入れ違いで帰る人がちらほらいました。

帰る人たちはおしゃべりをしていたんですが、なんでか昆布巻きの話をしていました。

昆布巻きです。朝起きて、僕が初めに耳にした言葉が昆布巻きだったんです。

それから僕はどうなったと思いますか?

ずっと、昆布巻きが頭から離れないんです。

お祈りをしていても、「あれはなんだったんだろう」って気になるし、会社に着いてからもことあるごとになぜか浮かんできました。

何がいいたいのかというと、

一日の初めに何を頭にインプットするかがどれほど重要なのか。

ということです。

すごい話のもっていき方でしょう。

朝起きてすぐ携帯を見る人いますけど、あれはいけませんよね。

主とのスマートフォンを取るのが先です。

そうでないとどうなるか、もうわかっていますよね。

初めの行いが終わりまでずっと続くんです。

初めが愛なら最後も愛。

初めが昆布まきなら最後も昆布まきです。

自分をよりよいところに連れて行くために、いつも主を優先して選ぶ習慣をつけたいですね。

さて、日曜日は祈りと伝道の御言葉でした。

新入生向けの御言葉でしたが、これは新入生にとって大きな祝福でしたね。

なんでかって、イエス様が一番弟子ペテロにはじめに話したのも「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう」マタイ4:19でしたからね。

先生の御言葉はやっぱり聖書をベースにしていますね。

あなたがはじめに聞いた主日の主題はなんでしたか?

それをすぐに実践できましたか?

僕が初めに聞いたのは「証しなさい」でした。

しかし、聞いてもしばらくは何も証できませんでしたね。

それも何年も。

悟ることはたくさんあったんですけどね。

日常のほんのちょっとしたことからいろいろ悟りが湧いてくるので、いろいろネタはあるんです。

しかし口が重いので、まったく相手に響く証ができませんでしたね。

僕が話しても、「は?」って言われて手を耳に当てられたことが何回あったことか(泣)

昔あったことで面白いのが、みんなで旅行に行く計画を立てていたときです。

僕が「これしたら面白いな」って思ったことがあったので提案してみたんです。

まあ、ボソッと言った感じでした。

みんなは「うーん、まあそれもいいけどねえ・・・」といった感じでうやむやになって、話は先に進みました。

しばらくして、別の人、その人はとても明るい人なのですが、その人が僕とまったく同じ提案をしたんです。

「ねえ、これやってみようよ!」って。そしたらみんな「それいいね!」っていいました(笑)

そのくらい僕の話には人を引き付ける力がないんですよね。

それでも主からもらった証ネタ、啓示は携帯やノートに書き続けていました。

そうしているうちに、世の中でブログっていうのがはやりだすんですよね。

僕は文章で証するようになりました。

はじめて聞いた「証しなさい」って御言葉を、今では得意分野で実践できるようになりました。

何でも最後まで行ってみないとわからないですよね。

もちろん今でも口で人を伝道するのが夢です。

しゃべって人を感動させて、悟らせて、なんてかっこいいですからね(笑)

話は変わって、最後までいかないとわからないという流れで、先生の絵を売ってしまう人の話について。

御言葉を聞いた誰もがびっくりしたと思うのですが、あえてここでは信仰者としての是非という面からではなく、もっと冷徹な目で見た場合にその選択が得だったかについて語ってみようと思います。

彼らが絵を売った目的は、お金ですね。

それだったら、売らないでずっと持っていたほうがもっと価値が上がりますね。

摂理はこれからどんどん価値が高くなります。

摂理を悪く言う人でさえ、「先生が監獄を出てからが問題だ。彼は何か大きなことをするに違いない。摂理は拡大するに違いない」って警戒してるのに、御言葉聞いている人がそれをもっと知って期待して待っていないといけませんよね。

知らないってことがどれほど怖いか、ですよね。

ウォーレン・バフェットは買った株を10年20年持ち続けています。彼は「買った銘柄と一生を共にする覚悟」といいます。そうして世界第二の金持ちになりました。

ましてや先生からもらったものを数年で、数十年で、数百年で売って本当の価値を享受できるのでしょうか。

子供、孫、ひ孫玄孫・・・までずっと語り継いでほしいですよね。

数百年たってから「この絵はな、お前のご先祖様が功績を立てて先生から頂戴したとてもとても貴重なものなんだよ」って子供に語りついてほしいですよね。

それで子供が「いつもその話ばかり!」っていって遊びにいってしまう姿が浮かびますよね。

大きな視点でものを見なければいけませんね。

今日明日のことだけじゃなく。

現金なんて、あっというまになくなります。

とくに今は、世界中の中央銀行がお金を印刷しまくっていますから、お金の価値はどんどん下がっています。

インフレになる可能性が極めて高いのです。

100万円が1万円の価値しかなくなる、そんなことがいつ起きてもおかしくありません。

「現金で持っていることが一番危険だ」なんていう意見もあるほどです。

お金も大事なのは確かですが、結局お金なんて何かを行うための手段にすぎませんからね。

それが目的になってはいけませんね。

そして最後に、私たちが気をつけなければいけないことがあります。

先生の絵が市中に出回る、ということです。

先生の絵を見て、どういう経緯を持っているのか、誰の持ち物か、本当にもらったものなのか、買ったものではないのか、はっきり知る必要があるということです。

ますます私たちは繊細な感覚を持つことが必要になりますね。

感覚を磨いて、魂も磨いて、体も磨いて、霊も磨いて、かっこいい、素敵な勇壮で美しく神秘的な新婦になりましょう。

正しく見ると成功する 摂理の便り

正しい方向から見てこそ、正しく見える。
と仰いました。

人によっていろんなものの考え方があります。

ものの見方もそれぞれですね。

僕は満員電車が嫌いで毎日うんざりしていますけど、
御言葉で聞いた話によると、先生は満員電車に乗ると「ダイヤの原石に埋もれている」気分なんだそうですよ。

命を何よりも大切に思う先生だからこそ、そういう方向から人が見られるんですね。

先生と比べるとちょっと次元は低いんですが、正しく見ることについて面白い話があるので紹介します。

ある大富豪が、インドの片田舎を車で通っていたんですね。

道路も舗装されていない、バラックが立ち並ぶ貧困街です。

外の景色を見ながら、その富豪は「宝の山に見える」と言ったんです。

その富豪の目には何が見えていたんでしょうか。

もう一つ話しますね。

世界第二の金持ちでウォーレン・バフェットっていう人がいます。

この人がどうやって財を築いたかというと、みんなが軽視して不当に安い値段をつけられている会社の株を買って、本来の価値に戻るまで待ったんですね。

それでビル・ゲイツの次にお金持ちになりました。

正しく見るっていうのは、それほど威力のあることなんです。

(霊的に)投資しなさいって御言葉もありましたが、投資というのは、将来の価値を見込んで安いうちに買っておくということです。

さっきの富豪の例えにしても、バフェットにしても、現在の姿に目もくれず、将来の姿を見て、安い今のうちに買っておくことで成功しています。

「あの人最近霊的だから言う事聞かないと」とか「雰囲気いいから仲良くしておけばいいことありそう」ではなくて、その人の伸び代があなたの益になるんです。

今は羽振りがいいけど、あと何年ももたないかもしれない。

逆に、今はぱっとしなくても、将来大成するかもしれない。

そんな例の最たるものが、幼少期の先生ですよね。

小学校しか出ていない、田舎育ち、貧乏だし、吃音症もあって、誰も期待していませんでした。

もし、もしですよ、あのときの先生に一生懸命投資して仕える人がいたとしたら、今その人はどれだけよくしてもらえたでしょうか。

山にいたころの先生はねずみがそばを通るだけで本当に嬉しかったそうですよ。

もしその場に、あなたがいたならどれだけ飛び上がって喜ばれたかわかりませんよね。

いるだけでよかったんですよ。通るだけで喜ばれるんです。

今は人も多くなって、ただいるだけではなんのコメントもされないでしょう。

正しく見るっていうのはそういうことです。

今の先生についても、本来の価値からは遠く離れた場所にいます。

大変な今この時に、「あれしてくださいこれしてください」ではなくて、少しでも力になろうとすること。

少しそれをするだけで先生の大きな力になります。

愛の倍返し、いや10倍返しだ

御子岩の形象、いくつわかりましたか?

僕は御子、分体、聖霊様、神様、足の5つでした。

形象を探すの楽しいですね。

早くファントムとチーターもわかるようになりたいです。

あと、隠された8つ目の形象、あれが1番気になりますよね。

僕は早く見つけてまじまじと見ていたいです。

岩に様々な形象を見つける作業って、大人の遊びですよね。

たとえるなら、枯山水とかね。

または陶磁器とか、絵画とか、それに近い感覚ではないでしょうか。

だから子供にはあまりよく価値が分かりませんよね。

ただの岩、ただの砂の庭、ただの茶碗、ただの落書き。

何を見ても同じ、何を聞いても同じ、何を食べても同じ。

大トロを食べて「脂っぽい。」というのと同じです。

私たちは大人の洗練された感覚を持ちましょうね。

宝を見つけることについて、もっといろいろ書きたいことがあるんですけど、お金の例えも使いながら説明したいこともあるんですけど、今日は別の感動があって、今書かないと忘れてしまうのでそれをシェアしたいと思います。

それは、条件代価についてです。

月曜日、会社から帰ってきて部屋に入ったときに「ふとん洗濯しとくんだった」という肉的な考えと同時に、主は条件代価の方だっていう言葉が浮かんできました。

条件代価、あなたも知っていますよね。

神様は条件代価の方です。

「わたしの弟子であるという名のゆえに、この小さい者のひとりに冷たい水一杯でも飲ませてくれる者は、よく言っておくが、決してその報いからもれることはない」マタイ10:42

まだ新入生のときは、これ本当かなって思ったんです。

でもその時万物啓示を受けたんです。

壁にボールを当てると跳ね返ってきますよね。

あれと同じで、っていうかあの法則は神様が創ったので神様がオリジナルなんですが、ボールが跳ね返ってくるのと同じで神様にしたことは返ってくるんです。

しかも、壁に当てたボールは力が弱くなって返ってきますが、主への行いは大きくなって返ってきます。

小さな条件、大きな対価ですから。

実感ベースで話すと、先生に何かしてさしあげたとすると、先生はもう信じられないくらいの強烈なお返しをくれます。

本当です。

これを実感するにはもう行ってみる以外にありません。

人は、基本的に悪いことをされたらそれに対しては大きな反応を示しますよね。

「馬鹿」っていわれたら「お前がな」って言い返したくなるじゃないですか。

倍返し、10倍返ししたくなるじゃないですか。

でもそれがエスカレートして起こるのは戦争だけです。

私たちが挑戦すべきなのは、愛に対する反応でしたね。

愛したら、愛し返す。倍返し、10倍返しする。

それがエスカレートしたら愛の歴史が起きます。

それをどんどん行っていきたいですよね。

私たちは愛の主管圏の中で生きているんだから、主との愛の応酬をどんどんエスカレートさせて、やられたらやりかえして(笑)理想をなしていきましょう。

刈り取れるのは主がまいてくれたから 摂理の便り

過去にまいて、現在に収穫だ。

御言葉の後に説教者も話していたんですが、
私たちがまいたものもあるにはあるんですが、
それより主が私たちにまいたもののほうがずっと多いですよね。

主が私たちにまいたものを、私たちが自分のものとして刈り取っています。

それを実感するのは、何か行うときに、ぱっと御言葉が浮かんでくるときですね。

どっちにしようか悩んだとき、「あ、こんな御言葉があったからこっちにしよう」
って決めること多くないですか?

御言葉に助けられていることを実感しますよね。

一日に何百回何千回と何かを選択する機会があると思うんですが、
そのたびに私たちは御言葉で判断できるのが大きいですよね。

いつも御言葉通りにできないことはありますが、
脳にインプットしているものが良いものなので、
アウトプットも自然と良いものになってくるんですよね。

まさにこれが主に導かれているってことですよね。

御言葉がなかったらどうでしょう。

朝起きて、仕事して、帰ってテレビ見て寝る。

そういう生活だったら、どうでしょうか。

楽だけど、脳にテレビで見た映像がびっしり詰まっています。

ものごとの判断材料がテレビしかないんです。

悩みがあってもテレビから答えを探すしかないし、
人の役に立ちたいと思ってもテレビから材料を探すしかありません。

そんなの、絶対自己嫌悪に陥ると思います。

日本が自信をなくしてしまったのって、
こういうところからきているのかもしれませんね。

でも自分で気づいていない。

よくわからない苦しみから逃れるために、
もっと楽なほうに流れています。

「パンとサーカス」って言葉を知っていますか?

古代ローマの詩人が、当時の世相を風刺して使った言葉です。

ネロ帝の時、クリスチャンを大迫害したネロですね。

あの時代、権力者は民衆の支持を得るために「無償で」食べ物と娯楽を提供していたそうです。

それが民衆の堕落につながり、ローマが退廃したという説があります。

どこか現代と似ていますね。

大規模な金融緩和政策がずーっと続いています。

また、政府の政策ではありませんが、食べ物も非常に安いし、娯楽もタダのものが多いです。

お金を払うのが嫌なら一日中youtube見てたりスマホの無料アプリやってれば時間がつぶれる時代です。

近い将来、どうなるでしょうね。

御言葉を読んでいても、少しそういうのが頭によぎる場面がありました。

あ、でもこれは何も心配することではありませんよ。

たまにいうんですが、
これは一方向から見たら退廃なんですが、
霊的に見れば転換期ということです。

御言葉の学び初めに習いましたよね。

だから何も悲観することはありません。

もちろん遊んでばかりいる人にとってはどんどん退廃していく流れに
身を任せるしかないのですが、あなたは違いますよね。

世の中の激しい濁流にも流されない強い芯があるからです。

摂理の御言葉を聞いているからです。

御子と生きているからです。

主がまいてくれた種があるので、それぞれに刈り取るものが多いので、
飢饉が起きてもその実を取って食べて生きていけます。

それを飢えている人にあげたら、喜ばれますね。

その人も救われます。

救いの御言葉だからです。

新しい歴史にうまく乗るために 摂理の便り

独立歴史はじまってはじめての聖餐式は、
去年とは少し違っていましたね。

復活を、勝利を記念する式典になりました。

先生が死に打ち勝った。

その記念の式典になりました。

これから独立の年を重ねるたびに、
さらに理想的になるっていう希望がありましたね。

真理による自由を勝ち取ろうっていう希望に溢れていました。

御言葉では、過去を全部捨ててこそ新しい歴史に移ると仰いましたね。

古い主管圏にずっといてはいけません。

聖餐式の明けがた、一つ悟ったことがあるので共有しますね。

イスラエルありますね。

歴史が始まったところです。

文明が始まったところです。

はじまったけど、そこで神様の歴史が壊れました。

それから4000年、
歴史は少しずつ回復してきたんですけど、
基本的に争いの歴史でしたね。

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そこへイエス様が現れて平和を成そうとされました。

しかし、彼らはこれまで通り攻撃して殺してしまった。

歴史はヨーロッパへ移ります。

イスラエルはというと、今も戦争しています。

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昔と変わらない争いが今も続いています。

同じように、私たちの生活の中で、
争いが起こることがありますね。

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まあ、われわれの争いなんてちっぽけなもんです。

争わないとしても腹の立つことはありますね。

その争いは、あなたが勝てばなくなると思いますか?

神様があなたに大いなる力を与えて、消し去れると思っていますか。

なくなりません。

それはイスラエルに戦争がなくならないのと同じ理由です。

たとえ勝っても、似たような人がまたあなたに挑戦してきます。

古いものを捨てなければ、
新しい主管圏に移らなければ、
同じことがずっと繰り返して起こります。

ショックなこと、腹の立つこと、うんざりすること。

同じ主管圏にいる限りずっと起こり続けます。

だから、聖霊を受けて古いものを捨てなければいけないんです。

それが本当の勝利です。

サタンがいない状態、心に引っかからない状態、それが勝利です。

古いものにはサタンがつけ込みます。

サタンって、基本的に神様側の動きをじーっと見ているんですよ。

それで、ずっと見ているうちに、「あ、こうすればうまくいくんだ」
ってコツをつかむんです。

そうして神様の真似をして、だましたり、誘惑するんですよ。

よく知ってるでしょう(笑)

だから、古いやりかたをずっと変えないでいると
サタンが同じやり方を真似てきます。

それでその主管圏はサタンのものになってしまうんですね。

サタンと義人が一緒にいたらサタンのほうが強いですから。

ゴリラと人間が並んだら、ゴリラのほうが強いですよね。

それと同じです。

だから、変わりましょう。

今、聖霊の追い風が吹いているときですから、
新しく変わりましょう。

自分の立てる条件を100%立てて、清く備えていれば、
あとは神様が連れてってくれますから。

ps 

条件を立てる姿は美しいですね。

人目につかず、誰も知らないところで自分を律している。

その姿を見たら主は抱っこしたくなると思います。

今日はそんなことを思いました。

聖霊の火を消さないために誰でも簡単に実践できる方法 摂理の便り

一ついいことを教えてもらったのでシェアしますね。

火がついたとき証しなさいと仰いましたね。

それで、こういうことを言う人がいたんです。

「何を証すればいいかわからないです」

Mig

・・・

確かにそういうこともある。

話すことがない、人に話すほど立派な経験がない、うまく言葉にできない。

ああどうしようって考えているうちに、熱が冷めていきます。

僕はいっつもそうですね(笑)

いつも聞き役に回ってしまうので、
普段どおり黙っているとどんどん熱が冷めていきます(笑)

だからこうして文章を書いているわけですが。

話を戻して、アイデアがない、時間がない、相手がいない、
何を証したらいいかわからない!
そういうときはどうしたらいいでしょうか。

答えは、「御言葉を読む。」です。

なんだ知ってるよって思うでしょう。

でもこれが一番実践しやすくて誰にでもできてしかも絶大な効果があるんです。

読む、口に出して読んでみると良いです。

実証済みです。

声に出して読むと口で御言葉を語りますから、
つまり、それだけで証をしていることになります。

なんかヘリクツっぽいですか?

でもそれで実際に新たな火がつくんです、冷めないです、本当に。

なんでかっていうと、御言葉を読むときに、
その証を聞いている人がいるからなんですよね。

誰かっていうと、自分です。

自分に証して何になるんだと思うかもしれませんが、
そうではないんです。

自分に証しても効果がある、これには脳科学的な根拠があります。

人間の脳の原始的な部分は、人称を認識しません。

だから、誰が語っているかはわからないんですね。

説教者が語っていても、ヒラ信徒の自分が語っても、
誰に向かって語られている言葉だとしても、
耳に聞こえた言葉は全部自分に向けた言葉だと認識します。

「脳は聞いたもの見たものを全部吸収する」

という御言葉もありますよね。

だから、誰がいなくても、口に出して話してみる。

すると、あなたに証されたあなたは少しずつ体が熱くなります。

僕は読み始めて30分くらいで体が熱くなってきます。

音読に自信のある人ならもっと早く熱くなると思います。

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「自分で自分を感動させなさい。」

これは賛美の御言葉で教えてもらったことです。

自分で自分を熱くする。

変温動物から恒温動物に変化しなさいってことです。

周りの環境で熱が冷めたり上がったりするのではなく、
自分で自分の体温を調節できるようにする。

これが大事です、とくにこれからの時代は。

一流の小説家は、自分に向けて書くんだそうです。

これは司馬遼太郎が言ってました。「坂の上の雲」のあとがきで。

一流のコピーライターは、自分が買いたくなるようにコピーを書くんだそうです。

先生は、昔、誰一人弟子がいなかったときは、
木に向かって御言葉を伝えていたと仰っていましたね。

そうして御言葉を伝える力をつけたんです。

今のように火の塊を投げるような御言葉も、
そういう時期を経て練達に練達を重ねてこられたからです。

霊的にいうなら剣の回し方を学んだんです。

いきなり実戦で剣を振り回すのは怖いですよね。

だから素振りをするんです。

しばらくやってれば、それだけで熱くなって汗かくでしょう。

アナウンサーは人前で話すよりも何倍もの練習を一人でしているでしょう。

説教を伝える方も、礼拝に臨む前にずっと一人で練習していますよね。

だから私たちもやってみましょう。

「御言葉を読む」ってことを、意識を変えてやってみましょう。

御言葉って、いろんな使い方がありますね。

自分に何もないとしても、御言葉があれば工夫次第で何でもできます。

ぜひ自分を伝道するっていう使い方もして、
御言葉を使い倒してみてください。

摂理で100%条件をたてる

日曜日の明けがた、また御言葉を聞きながら遊んでいました。

明けがたはやっぱり一対一の時間ですね。

主日、水曜、金曜とは違う味があります。

僕は明けがたが一番好きです。

一番親密に接してくれる感じがします。

しかし問題が一つあるんですよね。

それは、僕が起きられないことです。

・・・

明けがた、ふと今週の聖句が聖霊に関することだったのを思ったときに、浮かんできた言葉がありました。

「聖霊様は香水のようだ」

この言葉、以前先生が仰ったことがあるんです。

香水のようだって。

聖書にそんな記述はないんですが、別にいいんだって。

その言葉を思い出して、ずーっと頭に残っていたんです。

御言葉が終わって、聖殿に人がいなくなっても残っていました。

それで、それを持って帰って、家でもずっとこねくりまわしていました。

それでまた聖殿に持って来ました。

・・・

さて、今週、聖霊を受けるには100%の条件を立て、御子と分体に認められなければならない、と仰いました。

そうしてチョウンさんが初めて聖霊を受けた話になりましたね。

2009年、摂理にとってとてもつらいときでした。

僕もあまりにつらくて簡単には人に話せないような経験もしているので、思い返すたびに今まで後悔ばかりしていたんですね。

でも、今日の御言葉を聞いて考えが変わったんです。

100%の条件を立てるのって、順風満帆のときには難しいんですよ。

うまくやっていても、「あーそれ、あんたの状況がいいからできるんでしょ。あんた本当の艱難にあったらどうせ人変わるでしょ。」ってサタンがいくらでも突っ込めるからです。

旧約聖書にこういう記述があります。

お金持ちで神様ラブなヨブって人について、サタンが神様にこういったんです。

「しかし今あなたの手を伸べて、彼のすべての所有物を撃ってごらんなさい。彼は必ずあなたの顔に向かって、あなたをのろうでしょう。」ヨブ1:11

そうしてサタンはヨブの持ち物を全部奪い、家族を殺し、ヨブを病気にしました。

しかしヨブは最後まで耐え忍んで、以前の2倍の祝福を受けるんですよね。

人の本性って、逆境のときにでます。

摂理の逆境のとき、あなたはどうしていましたか。

チョウンさんはその時聖霊を受けました。

かたや、先生を恨んで裁判にもっていった人もいました。

これって、裁きですよね。

だから、逆境のとき、どれだけ主を愛せたのか。

それが問題なんです。

そういう意味では、2009年前後にあんな状況だったにもかかわらず主を愛して過ごした人は、最近来た人より大きな条件を立てているといえるんじゃないでしょうか。

僕にとっても大きな自負心になりました。

なにより先生。

あれだけのことがあったのに毎日御言葉伝えてくださっていますから。

しかも次元をあげているんです。

もうこの御言葉が止まる理由がなくなりましたよね。

霊が生きているんですよ、最悪の状況になっても。

そして肉体も生きているんです。

ダイヤモンドより固いですよね。

そう、ダイヤモンドです。

ダイヤモンドだったらもう手に入れるしかないでしょう。

っていうか、なんか自分の考えと合わないからどうのとか忙しいからどうのという意見もありますけど、自分がどうこう以前の問題で、価値があるんだから手に入れておくべきですよね。

ダイヤモンドを見て、「私の願うカットとは違う」といって燃えないごみに捨てないでしょう。

価値を知らないといけないんです。

使い方を知らないといけないんです。

価値が分かったら、手放すというという選択は何が何でも阻止したくなりますよ。