愛の自己爆発でサタン殲滅 摂理の便り

御言葉を聞くと、
自分の良いところ
悪いところが露になりますね。

事前に「悟りの宝を受けられますように」
と祈っていたこともあって、
御言葉がはじまって刺激されると、
僕の中に貯蔵されていた
悟りが連続爆発しだしました。

書き留めるのが追いつかなくて、
説教者が「一緒に読みましょう、せーの」
って言ってもぜんぜん読みませんでした。

「よし、この悟りをあちこちにばら撒いて
心をひっくり返してやるぜ。くっくっく」

って得意になっていたんです。

しかし、説教が終わって
啓示を一つ聞いたとき、
伝道の話がでたら、急に
しゅーん
ってなっちゃったんですね。

伝道苦手ですんで。

伝道の火薬は僕の中になかったんです。

「ああ、伝道か」ってなっちゃって、
危うくさっき受けた火まで消えるところでした。

それではいけないんですね。

2014年、大サタンが攻撃してくると
御言葉にありましたが、
まさにその時攻撃があったと気づいたんです。

最後の戦いは自分との戦いです。

あなたも気をつけてくださいね。

サタンはもうあとが無いので、
ふとしたスキに入りこんで
テロを仕掛ける戦法をとってきますよ。

そこでうろたえたり落ち込んだり、
言うことに耳を傾けると
どんどん入り込んできます。

断固として戦うという
態度を明確に示さなければなりません。

今日僕は祈りの時間、脳をフル回転させて、
打開策を探しました。

もう「主よ、助けてください!助けてくださーい(泣)」
なんて祈りはしません。

具体的にどうしたらよいかを、
御子と一緒に考えるんです。

そうして自分のサタンの牙城に攻撃できる
方法を見つけました。

具体的な話をすると僕にしか該当しなくて
つまらないので、抽象的に話をすると、
自分の中の火薬が詰まっているセンターを使って、
サタンを攻撃すればいいんですね。

別の言い方をするなら、
光る分野で光らない分野も
照らしてしまえばいいんです。

また別の言い方をするなら、
壊れていない部分を使って、
壊れている部分を引っ張るんです。

この方法なら御言葉にも適っていますよね。

順理にしたがっているので、
絶対うまくいきます。

あなたも是非やってみてください。

勝利を得られるように。

今朝見た普通の夢 摂理の便り

夢を見ました。

普通の夢だったので
すぐ書き留めました。

飛行機に乗っていました。

しかし、誰かを助けるために
兄弟と一緒に飛び降りました。

落ちていきながら、
どうやったらうまく着水できるだろうかと
真剣に考えました。

うまく着水すると、
すぐそばに島があったので
上がりました。

それから出勤しました。

間違えて、前に働いていた会社に
出社してしまいました。

従業員は僕が退職した後、
さんざん僕の悪口を言っている
ようでした。

そこを離れて、
別の建物に入りました。

不思議な建物で、
5階建てくらいの
合宿所のようでもあり、
雑貨屋のようでもありました。

窓からは木漏れ日が差し込んでいて、
そこにいる人々はみな穏やかでした。

朝7時くらいでしたが、
お店はすでに開いていて、
みんなにこにこしながら働いていました。

スマホでARKをチェックすると、
先日僕が受けた啓示が
決済を受けて載っていました。

やったーと思って、
食事をする時間になりました。

食堂にはたくさんの人が集まっていて、
僕はそこには招待されていなかったのですが、
同席させてもらうことになりました。

ゲストに先生のお母さんがいらっしゃいました。

二人の男性が証をし、
「頑張りますので、みなさん応援してください!」
と言っていました。

次にお母さんが話をされました。

声が小さくて、付き添いの人に
「もうちょっと声を大きくしてください」
と言われていました。

用意された食事を食べながら、
「おいしい、どこどこで買ったものでしょう」
とか言っていました。

そして、
「あなたたちはこれから人の話を鵜呑みにして
行ってはいけないよ。よく判断しなさい。」

と仰いました。

そして目が覚めました。

魂のこもった言葉 摂理の便り

水曜礼拝が終わった後に、
先生に接見された人の話を
聞きました。

話を聞くだけで、
まるで自分も接見の場にいるように
情景が浮かんできました。

体験した人の話は
伝わってくるものが違いますね。

体験をしていない
僕が同じ話をしたとしても
誰も感動を受けないでしょう。

牧会者が
「先生の魂が来て伝えてくれましたね」
と話していましたが、
これが魂の働きか、
と実感する時間でした。

体験をしているかしていないか。

それが人の話を判断、分析、確認する上で
重要になってきますよね。

先生の話はいつも体験をもとにしています。

先生が「最後まで行いなさい」
と仰るのも、
先生が実際に接見の人を最後まで待った
ときに悟ったことを伝えてくださっています。

だから力があるんですね。

ぶっちゃけ「最後まで行いなさい」
という言葉は御言葉以外でも聞くことはできます。

「諦めたらそこで試合終了だよ」

って聞いたことありますよね。

でもその言葉を聞いて
最後までやる気になるかっていうと、
どうですか。

どっちかっていうと、
落ち込んでる人を茶化すためのネタとして
使うことが多いですよね。

深刻にあきらめようとしている人に対しては、
むしろ使うとさらに落ち込ませてしまう言葉です。

御言葉と文章の内容は同じなんですけどね。

同じなんですけど、違うんです。

まったく違う。

同じ言葉なのに、
人の運命を両極端に分けてしまう言葉。

そこを判断しないといけない。

言葉の背景を読まないといけない。

御子が語っているのか。

表面だけで語っているのか。

体験に裏付けられているのか。

相手を思って話している言葉なのか。

自分を高めたいから
いいこと言ってるだけなのか。

安っぽい言葉なのか、
最高級の言葉なのか。

しっかり判断して、
良いものだけを受け入れていきましょう。

明「析」先生の分「析」力 摂理の便り

分別、確認、判断
ということで、
今回は僕の過去、
分別、判断ができなかったがために
いかに損をしたか。

それをつらつらと書こう、
と思っていました。

重苦しくてとてもダークな内容、
だけど参考になる、みたいな
内容になる予定でした。

しかし、一通のメールを見て
別の考えが浮かんできたので、
そのことについてラフに書きたいと思います。

トリガーは
「実家」というキーワードです。

この一単語から20000倍に
想像力を膨らませて書きます。

実家に帰ると必ずすることがありますね。

それはテレビを見ることです。

見たくは無いんですが、
食事のときについているので
つきあいだと思ってみています。

正月もテレビがついていました。

正月だから特番ですね。

毎年1月1日しかやっていない番組を
知っているでしょうか。

バラエティで「芸能人格付けチェック」
という番組です。

自称一流を名乗る芸能人達が、
良く似た本物と偽者を見分けることができるか、
格付けをチェックするって番組なんですね。

父親が好きな番組です。

たとえば高級牛肉とスーパーの特売品の食べ比べとか。

1億円のストラディバリウスで弾いた曲と
15万円の練習用バイオリンで弾いた曲の聞き比べとか。

100万円のビンテージワインと
1500円のテーブルワインの
飲み比べとか。

そんなのをやるんです。

で、芸能人が偽者を食べて
「うん、これが本物だ。香りがぜんぜん違う」
というのを笑う、って番組なんですね。

みんな判断を間違うんです。

バイオリンの聴き比べなんかは
視聴者も参加できるので
僕もやってみるんですが、
わからないんですよね。

分析ができない。

1億と15万の違いですよ。

9985万円の違いがわからないんです。

耳が貧乏なんですね、きっと。

それで気づくんです。

分析、判断ができるというのは
違いが分かることだ。

ってことを。

本当にステータスのある人は
違いがわかりますね。

高級なものを高級だと判断できる
能力があるんです。

一方、庶民は違いが分かりませんね。

「何を食べてもおなかに入れば一緒だ」

というマインドを持っています。

僕を含めて(笑)

ほんとに食べ物に関しては今のところ
なんでもいいと思っています。

いずれ高いものの価値がわかりたいと
思ってはいますけどね。

そんな話はどうでもよくて、
ここで言いたいのは、
これは宗教においても同じだということです。

「新約と成約はまったく違う。
2012年までと2013年からは天と地ほど違う。」

と、どんどん分けて考える
摂理のようなところもあれば、

「旧約も新約も何が違うの?どうでもいい。
仏教もキリスト教も、けっきょく同じこといってんでしょ。」

というスタンスの人もいます。

価値観はそれぞれでいいと思うんです。

ただ、どちらがより高い考え方かというと、
段違いで前者なわけです。

摂理は基本裂く歴史です。

先生の基本理念がそうですので。

先生の名前には「析」という字が
入っていますね。

この分析する、判断する
というのは、価値がわかる
人にしかできない。

そういう話です。

バラエティの話から
先生の名前の話にまで話を
20000倍に膨らませました。

20分で。

判断するときには、
価値を分かる人の
判断で行いましょうね。

分析の専門家、明析先生の
話を聞いて、判断力をつけていきましょう。

判断と脳科学 摂理の便り

バレーボールしました。

スポーツは判断の連続ですね。

スポーツ後の福牧会者のコメントが
いいね!だったので
忘れないうちにリツイートしときます。

ブログなのに
フェイスブックや
ツイッターみたいでしょ。

コメントはこうです。

「筋肉と同じように
考えも普段から鍛えてこそ
よりよい判断ができるようになる」

これはバレーをしていて感じました。

僕はバレーマンではないので
やってると考えるのが疲れてくるんですよね。

でボーっとしているスキに打ち込まれてしまう。

バレーをするならバレーの考えを普段から
鍛えておかないといけません。

逆に文章はいくら考えていても
疲れません。

慣れているんですね。

毎日しないといけません。

祈りも、賛美も、御言葉を読むのも。

でないと感覚が鈍りますから。

あとはこのコメント。

「毎日があっという間に感じてしまうのは、
年をとってなんとなくできるせいで
あまり考えないで生きているから。

子供のころの一日が長く感じるのは、
子供には経験が少なく、何もかもが新鮮で、
新しいことに一生懸命取り組むからだ。

これは脳科学で証明されていること。

先生は何気ない日常に
新しい発見をしたり
一生懸命取り組むが、
その姿勢を見習わないといけない。」

拡散拡散。
いいね!って思った人は
拡散してくださいね。

サタンの悪評に負けないように。

それでは。

明け方に起こる再創造 摂理の便り

考えが浮かんできたときに、
という御言葉がありました。

今日の明け方に浮かんだことが
あったのですが、
何もしないでいたら
気になってしかたないので、
書きます。

浮かんだのは、
「明け方に摂理の文化が生まれる」
ということです。

わけわからないですか?

僕もわかりません。

わからないから書かなかったんです。

でも気になって仕方ないんです。

だから書きます。

思いつくままに。

きっと、しばらくすれば
もうちょっと形が整って
浮かんでくると思います。

まるでサナギ状態の虫が
成虫になるように。

考えがどろどろのサナギ状態だったのが、
立派な成虫になる再創造が起こります。

この脳の中で。

いまはどろどろしています。

しかし成虫に向けて構築が
進んでいるんだろうと
思います。

僕は意識していませんが。

胎内の子供って勝手に大きくなるでしょ。

そんな感じです。

しばらくどろどろしています。

そのうち、ぱっとひらめくんです。

脳の果実とはそういうものです。

で、「明け方に摂理の文化が生まれる」
ってことについて、
明け方は御子と一対一の時間ですね。

他に何もありません。

だから摂理独自の文化が生まれるんです。

世の中のものが混ざらない純粋な
ものが生まれるんです。

摂理のアイデンティティが必要だ
ってポンソクさんが以前
仰っていました。

「ユダヤ教といえばこんなイメージ、
キリスト教といえばこんなイメージ
というのがある。
じゃあ摂理といえばこう、って
イメージが浮かばないといけない」

そんなことを仰っていました。

そういう摂理らしさ。

それが明け方に生まれるんじゃ
ないかと。

戦争で、戦闘作戦が一番効果的に
働くのはいつだと思いますか。

明け方です。

敵がぼんやりしている時間を
狙って攻撃を仕掛けるのが王道です。

だから明け方なんです。

とりあえずまとまりがありませんが、
以上です。

再創造にチャレンジしよう 摂理の便り

今朝は「作りなさい」
というテーマで箴言を
伝えていただきました。

この言葉も悟れるか
悟れないかで運命が
変わる御言葉です。

世の中を見渡してみると、
作れる人が治めている
ことがわかります。

単純に言うと、木から服を作れる人が
会社を立ち上げています。

作れない人は、
その会社に就職して、
作れる人の手伝いをしています。

作るか、作らないか。
それが将来の運命を変えます。

御言葉は平易な表現で
わかりやすく伝えていくれていますが、
真摯に受け取りましょうね。

自分のことなので。

そして同じ作るにしても、
いろいろな方向がありますね。

木から服を作るにしても、
ユニクロを作るのか、
手編みのセーターを恋人のために
作るのかで得るものはまったく変わりますね。

ユニクロを作れば日本一の金持ちです。

手編みのセーターを作れば
恋人をやっつけられますね。

これはどっちがいい悪いじゃなくて
個性に従って好きなように
作るもんなんでしょうが、
どちらにしても御言葉に根ざしていないと
だめですね。

御言葉に固く立って、
再創造にチャレンジされるのをオススメします。

御子の計算 摂理の便り

今朝は過去の映像を見て、
「自分の時」についての
御言葉を教えていただきました。

「自分の時。
それは相手の時でもある。」
という話がありました。

新郎の時は、同時に新婦のときでもあるんですね。

どちらかでも準備ができていなければ、
結婚ができません。

神様は全能者だけど、
微弱な人間のせいで限界がある。
今週のこの御言葉を
具体的に理解することができる話でした。

今朝聞いたのは過去の御言葉なんですが、
今週の御言葉とリンクしていて、
補足するような役割をしているところが
すごいです。

先生は計算してやっているんでしょうか。

御子が計算しているんですかね。

私たちも、現在していることが
未来に役立つように、
御子に知恵をもらって
行っていきたいですね。

時について、
韓国や日本には四季があるので、
日本人は時について敏感な民族だと
思いますけど、
摂理ではそこをもっと
深堀りして学ぶことができます。

特に「自分の時」について
学べるのは他ではないでしょう。

一般的にも「モテ期」とか
「厄年」とかありますけど、
そういう全体的なものではないです。

もっと具体的に、
あなた個人にとっての時はいつなのか、
その時、自分は何をしたらいいのか、
どうしたらその時がわかるのか。

それが学べます。

摂理ホームページ
http://www.j-cgm.net/

出会いと対話
http://www.god21.net/

もう終わったことと、まだ終わっていないこと 摂理の便り

明け方の時間が終わりましたよ。

今週は、
「終わったことは終わることになる」
と仰いました。

もう終わったこと、
いろいろありますね。

既成の生活とか。

旧時代とか。

人によっては学生時代とか。

いろいろありますが、
最近、一つ、大きなことが
終わりました。

先生が仰ったことです。

それは、
「先生から条件を立てること」
です。

もう一度先生が
条件を立てようとするなら、
神様がもう一度先生を
産まれさせて、育てて、
何十年も練達しなければなりません。

それは神様の「順理の創造の法則」では
ありません。

これからは、
「地上から天を愛する」時です。

再創造の時です。

「まだ引き上げの期間が
終わった人は一人もいない。」

とも仰いました。

時をわかって、勤しんで作っていきましょうね。

「天が下のすべての事には季節があり、
すべてのわざには時がある。」伝道の書3:1

明け方に起きるとココが違う 摂理の便り

今朝は、何時に起きましたか。

先生は、
「それぞれ起きる時間がある」
と仰いました。

先生の時間は1時ですね。

あなたの時間は何時でしょうか。

自分の時間に起きるのと、
そうでないのとでは雲泥の差があります。

何がそんなに差があるのか。

力です。

内面から湧いてくる力が違います。

言い方を変えれば、
健康状態が違います。

ここでいう健康とは、
「病気ではない」
ということではありません。

本当の健康とは、
「はつらつとしていること」
です。

この健康状態が、
起きる時間で大きく左右されます。

また別の言い方をするなら、
エンドルフィンの分泌量が
違います。

ダイドルフィンの分泌量が
違います。

そしてまた別の言い方をするなら、
主からもらうものが違います。

金の時間、銀の時間、銅の時間とも
仰いますね。

どうせなら金をもらいたいものです。

是非、明け方の文化が
開いているこの時に、
自分の時間を探してみてください。