今週から仕事がはじまりました。
9連休はあっというまに終わり、
また一年のはじまりです。
年始はみんなだるそうに
仕事をしています。
仕事をしながら5月のカレンダーを
見ている人もいました。
ゴールデンウィークを
どう過ごそうか
考えていたみたいですね。
仕事は相変わらず忙しいですが、
プログラミングに強い人が
ツールを作ってくれたので
とても効率がよくなりました。
今まで手作業でぽちぽち
やっていたのが、ボタン一発で
終わるようになりました。
こういうツールを見るたび、
人間ってほんとに労働に
向いていないなあと思います。
人間がどんなにあくせく
頑張っても、その仕事を代行する
優秀な機械を一度作ってしまえば、
無用な努力になります。
僕の働いている会社は
100%機械化を目指しているので、
何十年後かには僕の仕事はなくなります。
世の中の雇用が安定しないのは、
機械化、ウェブ化が原因っていう
側面もありますよね。
これからも人間の仕事は
機械とネットにどんどん奪われていくでしょう。
では人間の価値ってなんでしょうね。
何のために創られたのでしょう。
答えは、御言葉を学んでいればわかりますね。
今日の水曜礼拝では、その「愛」について
教えていただきました。
愛というと異性の愛を考えますが、
御子の考えは違うと。
愛=異性の愛
っていう考えは近年のものですね。
昔、聖書が日本語訳されたばかりの
ころは、「愛」は「お大切に」
と訳されていたそうです。
「あなたの隣人を愛しなさい」
っていうと
「異性的に愛しなさいってことか」
とだけ考える人が多くても、
「あなたの隣人をお大切になさってください」
こう訳すとぜんぜん別の印象で
伝わってきますね。
愛っていう言葉に対しても
私たちの脳が凝り固まっているとしたら、
御言葉で正していきたいですね。
ちなみに、昔の聖書では
「洗礼」は「コリをとる」
と訳されていたそうです。
「洗礼を受けた」
といえば厳粛で難しいイメージですが、
「コリをほぐした」
というとぐっとわかりやすくなりますね。
えーそんなんでいいのって
拍子抜けするくらい身近に
なりますね。
しかも先生が御言葉で
コリについて何度も伝えられているから
摂理人にはお馴染みの表現です。
聖書は一見すると権威性の強い
難しい書物に思えがちですが、
2000年前にイエス様が
伝えられた時にはもっと
やわらかだったんじゃないでしょうかね。
先生が伝えられる御言葉が
とてもわかりやすく身近であることを
考えても、そうなんじゃないかな
って思います。