表現に高低をつけるとエネルギーが増す

悟りは主と私たちが合うことだと仰った。
昨日会社で悟ったことがあって、一日中感謝して笑っていたので周りからはキモいと思われていたのだが、何を悟ったかというと、「神様と私たちが一つになると、そこに強弱と高低と曲線が生まれる」、と言うことだ。
神様が「高」、私たちが「低」だ。以前御言葉で、強弱と高低と曲線は神秘の原理だと仰いました。あの御言葉が出てから、ずっと気になって考えていた。どういう意味だろうと。
で、考えていた時に、もしやと思って、TSUTAYAに行った。行く途中でメンバーとすれ違って気まずい思いをしたが、ベテランの人だったので誤解もしないだろうと思い、「TSUTAYAに行く」と正直に話して店に入ったよ。で、ワンピース開いてみた。はっきり言って内容はもうどうでもいい。30過ぎて漫画が楽しいことはない。御言葉では漫画はダメだけど、そこは心情を理解して欲しいんだ。
ワンピースを読んで思ったのだが、あの漫画はめちゃくちゃ強弱を多用している。麦わらの一味に大きな敵が立ちはだかる、っていう場面がすごく多い。効果音でいうと「ドオオオオン!!」ばっかり。
それからTSUTAYAをぐるっと回った。そしてわかった。どのヒット作も、小さいながら高低、強弱をうまく使っている。
「圧倒的な悪vs弱小の正義」「校内一のイケメンと普通の女の子」「進撃の巨人と壁の中に引きこもる小さな人間」「電車男とエルメス」例を挙げたらキリがない。
時代を超えてヒット作は全部こうなっているのだ。そしてもともとは「神と人」がモデルなのだ。
さっき「一日中感謝して笑っていたので周りからはキモいと思われていた」と書いただろう。あれも、感謝の「高」とキモいの「低」でわざと高低を作り、表現してみたものだ。笑えたのではないだろうか?
こんなふうに、作れるものなのだ。
ただ神様の素晴らしさを表現しているだけでは平坦になってしまう。ただ自分の足りなさを表現するだけでもだめだ。
「主と自分が」一つに。主との経緯を増やして、高低のある神秘的な世界を作ってみてほしい。

どんなに計画しても道に迷うことがある。迷ったら御言葉だ。

行うには、計画が必要だ。

仕事なら向こうからタスクがやってくるし、ノルマや納期が課せられて、やらざるを得ない状況に置かれる。
すぐ近くに同僚もいるし、負けてはならないからと闘志を燃やす人もいるだろう。
しかし、自分の夢をなすための行動は、誰も催促しない。締め切りもない。いつまでもあと伸ばしにできるし、やらないとしても現状維持ができる(ように錯覚してしまう)。
だから、計画が必要だ。
そして、計画は具体的にしなさいと言われる。
たとえばダイエットをする時「冬までに5kgくらいダイエットしたいかも。今の体重?わかんない(。ゝ∀・)bわら」ではなく、「何月何日何時何分までに58kgの体重を53kgにする!」と決める。日々何をどのくらいやれば良いのかリストを作って、1日の終わりにはそのうちどのくらいできたのか自己採点する。
これはとても難しい。しかも正しく計画を練るためには正しい知識を知っている必要があるし、計画を実行している最中には「こんなん無理だし」ってなる時期がどうしても出てくる。やってるうちにどんどん不安になってくるもんなんだ。
つまり、計画を練る前には自分のこれまでの考え方と戦わなければならないし、計画を練る段階では自分の無知と戦わなければならないし、計画を実践する段階では自分の怠惰と戦わなければならない。
これほどまでに障害が多いのだから、夢を実現することはどれほど難しいだろうか。
しかし、自分の考え方を直すことも、正しい智慧を得ることも、怠惰や不安を克服することも、御言葉でできるんだ。
そうだよね。
実践していて道がわかんなくなったら、祈りと御言葉だ。

既得権益層との仁義なき戦い

既得権益層との戦いというのは、いつの時代にもあるものだ。映画の題材としてもよく取り上げられる。

幕末もそうだし、第二次世界大戦前後もそうだし、安倍政権とSEALDsの対立もその範囲で語れることがある。
2000年前にはキリスト教とユダヤ教が対立し(と言ってもユダヤ教が一方的にイエス様の活動を止めたわけだが)、イエス様は十字架にかかった。

こうした対立について、大きな話はできないが、会社での体験を通して感じたことを書こうと思う。
以前働いていた会社では、全て手書きで書類を書くよう、上司から言われていた。パソコンの方が速いが、ダメだと。一人一台パソコンを支給されているのに、それはただの置物だった。僕は経理をやっていたのだが、伝票も手書き、元帳も手書き、間違ったら赤線二重線を引いて訂正する。
これがどれほどの苦労かわからないかもしれないが、ためしに数字をボールペンで書くと1秒かかるだろう。それをテンキーで打てば0.2秒で済む。つまり5倍時間がかかるし、手への負担も大きく変わる。そもそも、ずっと数字ばかり書いていると眠くて仕方ないのだ。
上司は東大出で、頭はいいはずなんだけど、今思えばIT難民だった。表作成もExcelを使わせない。ではどうやるかわかるか?A4用紙に定規で線を引いて表を作るんだよ!その線が曲がっていると怒られるんだ。なんとも言えない気分になった。
上司はパソコンを使わない理由についてあれこれ言っていたが、何を言っても僕には(俺はパソコンを使えないんだ)としか聞こえなかった。
ある時、我慢できずにインターネットで伝票ソフトを検索していた。上申しても許可されないのはわかっていたが、妄想でもいいからデータ入力がしたかったのだ。
上司は、そんな僕の気持ちを脱獄を見破る看守のごとく察して、パソコンを覗き込むや一喝、
「おい!インターネットなんかしてると、宇宙人になるぞ!」
まさに東大の知性が溢れるご指摘だった。僕の脱獄は未遂に終わった。
上司は、パソコンを許可すると若者の方が有利であることに薄々気づいていたのだろう。そんなことをしたら自分の立場がなくなる。だから自分を守るためにあらゆる知恵を絞って止めたのだ。たとえその行為が会社全体の利益を損なうとしても。
これは小さな経験ではあったが、大きなことを考えるきっかけになったことは確かだ。知恵をもって対応すべきことを学んだのは大きかったし、自分が年をとった時にこうならないようにと戒めにもなった。
みんなも気をつけよう。彼らはあらゆる頭脳と、権威を使って止めにかかってくる。彼らの武器は知識と権力、経験だ。それに対してどう戦えば勝算があるのか、しっかり考えるべきだろう。
それから、今の若者の中には、将来この上司のようになってしまうのではないかと心配になる人がいくらかいることも、感じるようになった。何を根拠に?と言われても困るが、長年上司に付き合ってきて、同じにおいがするとしか言いようがない。上司とその若者の共通点を挙げるとすれば、変化を嫌う、現状に満足している、自尊心が強い、などだ。時代は繰り返すものだから、30年後も僕が経験したような光景があちらこちらで繰り広げられているのではないかと思う。少しでも、そのような未来から救い出すことができたら嬉しい。
ついでに思い出したが、この会社は小さな自社ビルで、一階が応接室、二階がオフィス、三階が重役室、四〜五階が会長宅だった。会長は犬を飼っていた。その犬が散歩の時間になると奥さんとオフィスまで降りてくる。僕はよく懐かれていた。
ばっちりトリミングを決めて、毛がふわっふわだった。この犬が、僕より良いものを食べ、良い暮らしをしていることは明らかだった。僕は事情があって昼間は300円の学食で済ませていたし、部屋は半畳しかなかった。犬より劣った生活だと思うと苦しかったが、それでも、信仰生活だけは一生懸命した。世の中の縮図を見ているようでもあって、とても勉強になったのは確かだ。