既得権益層との戦いというのは、いつの時代にもあるものだ。映画の題材としてもよく取り上げられる。
幕末もそうだし、第二次世界大戦前後もそうだし、安倍政権とSEALDsの対立もその範囲で語れることがある。
2000年前にはキリスト教とユダヤ教が対立し(と言ってもユダヤ教が一方的にイエス様の活動を止めたわけだが)、イエス様は十字架にかかった。
こうした対立について、大きな話はできないが、会社での体験を通して感じたことを書こうと思う。
以前働いていた会社では、全て手書きで書類を書くよう、上司から言われていた。パソコンの方が速いが、ダメだと。一人一台パソコンを支給されているのに、それはただの置物だった。僕は経理をやっていたのだが、伝票も手書き、元帳も手書き、間違ったら赤線二重線を引いて訂正する。
これがどれほどの苦労かわからないかもしれないが、ためしに数字をボールペンで書くと1秒かかるだろう。それをテンキーで打てば0.2秒で済む。つまり5倍時間がかかるし、手への負担も大きく変わる。そもそも、ずっと数字ばかり書いていると眠くて仕方ないのだ。
上司は東大出で、頭はいいはずなんだけど、今思えばIT難民だった。表作成もExcelを使わせない。ではどうやるかわかるか?A4用紙に定規で線を引いて表を作るんだよ!その線が曲がっていると怒られるんだ。なんとも言えない気分になった。
上司はパソコンを使わない理由についてあれこれ言っていたが、何を言っても僕には(俺はパソコンを使えないんだ)としか聞こえなかった。
ある時、我慢できずにインターネットで伝票ソフトを検索していた。上申しても許可されないのはわかっていたが、妄想でもいいからデータ入力がしたかったのだ。
上司は、そんな僕の気持ちを脱獄を見破る看守のごとく察して、パソコンを覗き込むや一喝、
「おい!インターネットなんかしてると、宇宙人になるぞ!」
まさに東大の知性が溢れるご指摘だった。僕の脱獄は未遂に終わった。
上司は、パソコンを許可すると若者の方が有利であることに薄々気づいていたのだろう。そんなことをしたら自分の立場がなくなる。だから自分を守るためにあらゆる知恵を絞って止めたのだ。たとえその行為が会社全体の利益を損なうとしても。
これは小さな経験ではあったが、大きなことを考えるきっかけになったことは確かだ。知恵をもって対応すべきことを学んだのは大きかったし、自分が年をとった時にこうならないようにと戒めにもなった。
みんなも気をつけよう。彼らはあらゆる頭脳と、権威を使って止めにかかってくる。彼らの武器は知識と権力、経験だ。それに対してどう戦えば勝算があるのか、しっかり考えるべきだろう。
それから、今の若者の中には、将来この上司のようになってしまうのではないかと心配になる人がいくらかいることも、感じるようになった。何を根拠に?と言われても困るが、長年上司に付き合ってきて、同じにおいがするとしか言いようがない。上司とその若者の共通点を挙げるとすれば、変化を嫌う、現状に満足している、自尊心が強い、などだ。時代は繰り返すものだから、30年後も僕が経験したような光景があちらこちらで繰り広げられているのではないかと思う。少しでも、そのような未来から救い出すことができたら嬉しい。
ついでに思い出したが、この会社は小さな自社ビルで、一階が応接室、二階がオフィス、三階が重役室、四〜五階が会長宅だった。会長は犬を飼っていた。その犬が散歩の時間になると奥さんとオフィスまで降りてくる。僕はよく懐かれていた。
ばっちりトリミングを決めて、毛がふわっふわだった。この犬が、僕より良いものを食べ、良い暮らしをしていることは明らかだった。僕は事情があって昼間は300円の学食で済ませていたし、部屋は半畳しかなかった。犬より劣った生活だと思うと苦しかったが、それでも、信仰生活だけは一生懸命した。世の中の縮図を見ているようでもあって、とても勉強になったのは確かだ。