証や伝道は自分のため

風邪をひいていて、しばらく朝会に行かないでいた。周りの人にうつすといけないし、咳がひどくて御言葉の妨げになると思ったからだ。

明け方、いつもと同じ時間に起きて、御言葉を配信してくれるように連絡した。布団の上で(だって風邪をひいてるのだから)御言葉を聞いているうち、眠くなって寝てしまった。
数日間、そんな御言葉の聞き方をしていた。だから、風邪が治って再び聖殿で御言葉を聞けるようになったときは、嬉しかった。家で御言葉を聞いていたときは気づかなかったけど、だんだん波長が悪くなっていたのだ。
なんとなく「つまっている」感じはあった。でも楽だったから、気にならなかった。家で一人で御言葉を聞いているうち、その楽さに味をしめて「聖殿に行くの面倒だな」と思い始めたころ、自分でもちょっと調子がおかしいのではないかと思うようになった。
「悪い」という状態は「良い」状態がどんなものかわかったときにはじめて判断することができる。これは人に説明しても難しい。僕ももっと次元の高い人から見たら明らかに悪い人間だろうけど、そこはまだ自分でも気がつけていない。同じように、僕も周りの人が悪い波長を出していると、わかるときがあるのだ。その人本人は気づいていないように見えるし、むしろ正しいことをしているように思っている節すらある。
これを、説明するのは難しい。我慢することもできない。一緒にいると影響を受けてしまうから。ましてや「あなた波長悪いですね」というわけにもいかない。喧嘩になってしまう。だから、そういうときはその環境を離れるしかない。今週の御言葉ではっきりおっしゃってくださったから、気が楽だ。
文章を書くようになって、自分の「波長」についてはとても気をつけるようになった。もしかすると、聖霊様が前面に出てこられるようになってからかもしれない。聖霊様はそういう波長に敏感でしょう。
波長が良いときと悪いときでは自分の中から出てくるものがまるで違う。波長の良し悪しが自分にしか影響ないのならいくら悪くてもどうでもいいんだけど、少なくとも文章を書いて人にわずかながらでも影響を与えていることを思うと、自分の状態には気を使わざるを得ない。結局、自分を大事にするということだ。
そう考えると、証や伝道が自分の引き上げに大きく関わるというのもよく理解できる。人に向けて働きかけていると、そうしている自分の状態がよく見えてくるものだ。足りないところ、もっとこうしたら良いと思うことがどんどん湧くように出てくる。
そうしながら、自分をよりよく作っていく。そうやって次元を高めていくんだなあ。