実感が湧くように考える

実体としてのものだけではなくて、実感が湧くように考えることも大事だという話。

逆に実体があっても感じられないこともあります。よく会うのに気持ちがすれ違っているとか、美味しいものを食べているのに気持ちが沈んでなんの味もしないとか。

感じることが大事です。

ひたすら愛だ

愛がなければどんなに正しいことを言ってもやかましい鐘でしかないと聖書に書いてあります。

「いや、君のためを思って言っていることだから。」その言葉も正しいのですが、心が相手にマウントしようとしているのだったらアウト。

昔と今のアドナイエレ

アブラハムのころは「実践すれば祝福用意してあるから」とは言わなかったんです。

「イサク捧げろ」としか言いませんでした。

基本「しろ、するな」しか仰らない神様の心情まで知ることができるのは、先生の条件によるものですね。

多様性の時代だからこそ

多様性、個性の時代だからこそ、それを一つにまとめるものが必要ですね。

昔、別々の個性を持つ人たちを繋げる手段として“通貨”が発明されました。

今は一国の通貨も不安定だし仮想通貨もいろんなものが出ていて、新しい手段が模索されています。何でもって一つになることができるでしょうか。

好きでいられることが祝福

御言葉で、自ら行うには1、必要性を感じることと、2、好きであることだとおっしゃいました。

好きで行っていることは負担がないので捗るし、好きでやっているかは周りが見てもわかるし安心できます。

好きで無いと、途中で燃え尽きたりズルしようとしたり人と比べたり見返りを期待して行うので、最後まで行けません。

好きでいられるっていいですよね。

変わっていくことが喜び

聖霊を受けて続けて変わっていくことが正常なことですが、なぜか今まで通りのやり方でやろうとするのが人間です。

過去の成功体験に影響されてか、つらいのに今まで通りのやり方でやろうとする傾向を、私を通しても感じます。

ルーチンは安心できます。しかしそこに感動はありません。

私は古い体質の会社にいたことがありましたが、そこでは昔のやり方にこだわって、誰も面白くないのに思考停止になって仕事をしていました。なんかギュッと押さえつけられている感じがして息苦しいんです。

しかし誰も変えようとしない。不思議な現象でしたが、それは誰にでもどんな組織にでも起こり得ることなのだということです。

天皇陛下が生前退位を決められたのも、仕事が煩雑すぎたのが理由の一つだという話も聞きます。

伝統は大切ですが、今を生きている人間が昔のやり方で生きていくというのは辛いものです。

細密にやることとはやくやること

私たちがやっている仕事はすべて、とても大きなことです。

いい加減にやると損失がものすごいし、時に命に関わることもあります。

だから気をつけてやらなければなりません。疲れていたり焦っていたり、忙しすぎたりすると仕事が雑になって心が入らないで体だけ動いているということすらあります。そういう時は休むことも必要です。

「はやくやりなさい、たくさんやりなさい」という御言葉がありますが、確かにはやくたくさんやらないと勢いがつかないし宝も見つけることができません。しかしそれは「主を頭にして」という言葉が対になっているのだと思います。

バズったツイートから

間違った方向に実践してはいけないと言いたい。

先生は「病院いけ」言います。

自らやろうとすること

モチベーションには内的なものと外的なものがあって、内的なものは自分からやろうとする心で、外的なものはお金や名誉、義務などです。

外的なモチベーションには強制力がありますが、その副作用で今の日本には労働問題が山積しています。

これはまるで栄養ドリンクのようなもので、一時的にブーストはかかるけどそのあとキツくなります。

自分からできるようになること、これが一番自然、正常なことです。

先生の箴言「正常が頂上だ」

努力を無駄にしないために

「努力した者が成功するとは限らないが、成功した者は全員努力している。」という考え方があります。

この話を聞くと「えー、努力しても報われるわけではないのか。」と思います。

確かに、部活ではみんな努力しましたが大きな大会でメダルを取れるのはほんの一握りだし、研究を何十年としている科学者がその成果を得られる確率もものすごく小さいと言います。

それだから「努力だけじゃダメ、運も必要だ。」という話が出てきます。

こうなると、運はどう掴むのかという話になります。それについて答えを持っている人はいません。

だからこそ、主をつかまなくてはなりません。努力を無駄にしないために。