バッタのように主に力を与える祈りを

今朝は祈ることについての御言葉でした。

祈りなら、できる!と喜ぶ社会人www

先生に助けられたバッタが先生を引っ張ったように、たとえわずかだとしても先生に力を差し上げたいですね。

バッタって「ダメダメな人」の象徴に使われることが多いです。イソップ童話では遊び過ぎて冬に凍え死にますし、聖書でもバッタがいい例えとして出てくることを私は知りません。出エジプト記では10の災いの一つに出てくるし、黙示録ではアバドンがいなごの大群を率いるものとして登場します。

バッタは自由気ままで、御言葉では勝手に壁とか登ろうとして結局登れないバッタを先生は登れるように助けたり、リンゴの皮をあげて体質改善させたりして、なんもしてないのに長生きして、そんなの働きアリたちに妬まれますよ(笑)

一時も忘れないで対話すべきことを私たちは学んでいますが、特に117を祈る時間として与えられています。

この「時」がけっこうヤバイことに最近気づきまして、それは、他の「やるべきこと」って後からの追い上げやつじつま合わせができるのですが、時が決まっていることについてはあとからどうあがいても挽回できません。

ラスト3秒でスリーポイントが入って逆転勝利、とかないです。もう時が過ぎてるから。

ていうかそれ漫画だし。

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