先ほど月明洞での記念行事が終わりました。
月明洞は運動場から芝生の奥までとてもたくさんの人で埋まっていましたが、それでも摂理に人はたくさんいますから、会社や学校で来られなかった人も多かったと思います。
この前の証TVであったように、職場のトイレでのお祈りだとしても、心が問題なのだと思いました。
私は会社を休めたのですが、平日に仕事がないということに違和感を感じました。
朝のお祈りが終わって本行事までの時間、けっこうな時間がありました。
時間の使い方に慣れていなくて、とりあえず運動をしたり聖書を読んだりしました。
手持ち無沙汰になりました。
いつもは仕事でごまかしているけれど、定年になったらこんな毎日がずっと続くのかと思うと、ちょっと怖くなりました。
幸い私は御言葉を聞いているから、やるべきことがたくさんあります。
目的もありますし、まわりに人もたくさんいます。
しかし、御言葉を聞いていない人ってどうしてるんだろう。
定年までがむしゃらに働いて、そのあとはいくばくかのお金をもらって、それで何をするのだろう。
遊び回れるほどのお金があるわけでもないし、体力もありません。ずっと働いていたら友だちもそれほどいないでしょう。
世のため人のために何かすればいいんでしょうけど、そんな気も起きないのではないでしょうか。なぜなら、そういうことは職場で嫌という程やってきたからです。
「定年になったらいろんなことをやるぞ」と決めた人が、いざ定年になると何もやる気が起きなくなるという話を聞きます。
実際に、お年寄りはやりたいことがないからお金を溜め込んでいます。そして親しげに電話をかけてくる見知らぬ人に騙されてお金を取られています。
その額が年間何百億というのを私は信じられませんでしたが、今日、実際に老人と同じような時間を過ごしてみて(笑)、その理由が少しわかったような気がしました。
人生は虚しいなあ、と思って聖殿に着くと、たくさんの人がいました。
行事が始まり、みんな熱く天に栄光を帰していると、私の心にも火がつきました。
「天のためにやることは虚しくない」
そう思いました。
3000人の聖歌隊、勇壮でしたね。
一般のホールではこのようなことはできません。
野外ライブ会場で観客が一体になって歌うということはあるかもしれませんが、ろくに歌の練習をしていない人たちがわーっと歌うのと、以前から練習をして指揮のもと声を揃えて歌うのとでは違うなと思いました。
あとはこの指揮を先生がしてくだされば完璧ですね。
それにしても今日は次元あがったのかな。よくわからない。
やっぱり場所が問題じゃなくて心が問題だよ。