いつも言われていることですが、主の御名で祈ることについて、改めて教えてくださいました。
ペテロが例に出されていましたね。イエス様の生前には、ペテロはイエス様を人間的に好きではあったものの、価値がわかりませんでした。
価値がわからなかったものだからイエス様に余計なことを言って「サタン」とまで言われるし(マタイによる福音書 16:23)、イエス様を否定するし(マタイによる福音書 26:34 )、しかもそれをマタイとかルカがちゃっかり記録に残してて聖書に載っちゃって、かなり恥ずかしい人でした。しかしイエス様をはっきりと悟ってからは目覚しい活躍をされました(使徒行伝)
人間的に考えれば、黒歴史のところは隠すべきだしペテロは一番弟子なんだからそれも可能だったのではないかと思います。
もし、私の恥ずかしい過去が記録に残ってしまうとしたら、全力で抹消しようとすると思います。「金ならいくらでも払う、だから頼む!なかったことにしてくれえ!」って言うかもしれないよ。あなただったらどうする?「やめてー!」て言う?
しかしペテロはそういったことはしませんでした。ちゃんと聖書に残っていますね。
これは私の想像ですが、ペテロは自分に起こった変化を後世に残すため「記録しておいてくれ」って周りの弟子たちに言ったのではないでしょうか。
このペテロのように、私たちも前半期は先生を人間的に見て、好きで、ついて行きました。その認識がはっきり変わってこそ、大きな働きができるのだと思います。