うまくいかない原因を考える姿勢を先生に見る

「何となくうまくいかない」の原因を探しなさいとおっしゃいました。

先生はご自身のいろんな誤りを話してくださいますが、そのどれも神様のためにやっていた事でした。

神様のために岩を建てようとして崩れ、神様のためにアナウンサーになろうとしたけど死刑宣告を受けました。

普通の人だったら躓くところですね。

就活してただけで死刑宣告なんて、私だったら暴れると思います。

「人生無理ゲー過ぎワロタwww」といって何もかも諦めると思います。

しかし、先生はそこでさらに自分から神様の方に近づいて、その切実な心情に気がつかれるんですね。

そして間違いを認めて、自分に向けられたより大きな御心を見つけました。

もちろん、このような過酷な出来事は先生にしか起こらないと思います。特別に育てようとしているから神様も厳しくされるのだと思います。

それにしても、先生が成ろうとしていたアナウンサーの使命を、今は他の人にやらせているのも驚きです。アナウンサー部を作ってしまいました。

普通やらないですよ、自分が果たせなかった夢を他の人にやらせるなんて。

私だったら妬んで全力で止めますね。「あいつらの活動をぶち壊しにしてやるぜえええ!!!」と言います。

歌もそうですね。先生はほんとに長らく賛美の点数が低かったそうですが、それでも聖歌隊や歌手、楽器隊を作ってみんなが自由にできるようにしています。

世間体を考えるなら、そういうのを作ってしまうと自分が恥をかく機会が多くなるから、やらせないほうがいいです。

それなのに先生がこのようなことをできてしまうのは、あらゆる困難に打ち勝ったからです。

先生の練達は凄まじいものがありますが、縮小すれば似たようなことは誰にでも起こり得ます。

困難にあって蹟かずに「そんなはずはない」と言って自分の間違った神様観を捨ててこそ、自分は新しい次元に行けるし、他の人の活躍の場も作れるんですね。

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