神様の前では唯一の人、その他

神様の前で唯一の人になりなさいと仰いました。

世界には自分と似たような、またそれ以上の実力を持つ人はごまんといます。それで私なんかは昔は自分が何者なのかわからなくなることが多くありました。

主は唯一の人として接してくださることが感謝ですね。

しかし、仕事をしているうちに主を忘れるということがあります。

特に仕事が忙しい時なんかは目の前のこと頭がいっぱいになってしまいます。

使命もそうですね。

私はよくやるのですが、何でもはじめは主のためにやるんです。

「これを成し遂げて主に喜ばれるぞー」と思って張り切ってはじめるわけです。

しかし、やってみると現実ってけっこう厳しいし、やることが山ほどあるし、どんどん若くて優秀な人が現れて、焦って仕事ばかりしているうちに、主を忘れます。

それで主が「やあ、来たよ」みたいな感じのチャンスがめぐって来ても「すっごいタイミング悪いですねえ!ちょっと今ギリギリんとこでやってるんで!」という、聖書で婚宴の誘いを断った人のようなことをしてしまいます。

さらにこれが高じてくると、チャンスを逃したことで妙な余裕が出て、しかも目的が曖昧になってるから人を意識するようになります。

人を見ると相手と自分どちらが上かなんて考えるようになります。

「余はこのような使命をおおせつかっている者なるが、そちはどんな使命を?なるほど。さあらば、余の方が格が上…ということでよろしいか。して、そちは何の権威でそのようなことをされるか?」とユダヤ人ぽいことを言い出します。

そうなるとそろそろ新しい時代が来るという希望が世界に満ち溢れますね。

いつまでも初心を忘れないようにしたいですね。

あと、全然別の話なのですが、新曲『滝の愛』が発表されました。ニューシングルのリリースです。新しい変化!

めっちゃ演歌だけど。

そしてさらに驚いたのが、旧セノレ禁止のお達しです。

この2つのニュースが同時に発表されたことが、私は「もう本当にすごいなあ」と思いました。

だって、今までも「昔の曲で歌わないようにしよう。新しいメロディで歌うようにしよう。」という話はあったんです。

しかし、どうしても「新しいメロディでは歌えない、あのポップな感じが嫌だ」という方々がいらっしゃって、結局どっちも歌っていました。

すごく中途半端な感じだったんです。

それを!

先生がご自身で曲を作っちゃって、それがド演歌だったわけです。最後なんかこぶしを効かせないと歌えないほどの演歌です。

と同時に、今までの演歌調の曲をぶっ壊してしまいました。

すごく先生流というか、これ以上のやり方はないなと思いましたね。

この歌なら昔から摂理にいる方も自然に歌えるし、若い人もなんだかんだで歌ってます。私の教会でも10代の女の子も歌ってます。

私ははじめこの曲を聴いた時、「あれ、新しくするって言ってたのに結局演歌か。先生も演歌が好きだなあ。」くらいにしか思ってませんでしたが、違いましたね。

ほんとに和睦の方、1つにする方だなあと思いました。

大切に歌いたいですね。

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