悪評者の言葉は聞くこともするなという御言葉でした

悪評者の言葉を聞いてはいけないという話でした。なぜなら、彼らの話は自分の既得権益を守るためのポジショントークだからですね。

イエス様やパウロが御言葉を伝えるのを激しく反対していたのは、旧時代人の人と、さらに銅像づくりを生業としていた「銅細工人」「銀細工人」たちであった様子が、聖書に書いてあります。

御言葉を伝えてそれをみんなが信じてしまうと、商売あがったりになってしまいますからね。

しかし、それを捨ててこそ新しくできる。もっと早く行える。だから、人生短くても長く生きたことになる。このことについて主日でも話していました。

主日でも、古い曲をすっぱりと切っていましたね。

未練なく切っていました。

先生は昔の『御旨咲く摂理史』なんて日本語で歌えるんですよ。覚えるまでに大変な苦労をされたはずです。

日本人メンバーの前で歌えば、今でも「わー」って言われるでしょう。

そういった既得権を先生は放棄してしまいました。

思い出もたくさんあったと思うんです。弟子たちと歌った懐かしい思い出がたくさんつまってる曲も多かったのではないでしょうか。

聴きなじんだ曲ってその当時の思い出を彷彿とさせるんですよね。

私もB’zとかスピッツを聞くと今でも青春を思い出します。いや、今も青春だけどさ。

しかし、先生はそういったノスタルジーってものを感じさせずに切ってしまいました。

もうちょっと名残惜しくやったらいいのにな、と私は思ったのですがみなさんはどうですか。

「残念だけど…もう、この歌は歌えない…。」

「えっ。な、なんでですか?」

「なぜって、神様の言うことだからね。さみしいけれど、前を向いて、新しく変わっていこう。」

「そんな!そんなこと急に言わないでください!せめてもう一度、もう一度最後に歌いましょう!」

「ダメだ。古いものを葬るんだ!」

そういったやりとりは一切ありませんでした。

「本日より禁止する」

以上、です。

先生に接見された方もおっしゃっていましたが、その方がとても久しぶりに先生に会って懐かしい気持ちでいたのに、先生はいきなり要件を話し出してちっともムーディーではなかったといっていました。

最近新しくするべきことがさかんにいわれていますが、なぜ新しくしろというのかといえば、それによって私たちの人生がもっと充実したものになるからです。長く生きることができるからですね。

愛なんだなと思います。

まとまってませんが、今日は以上です。

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