報告より対話が大事なんだと仰いました。
報告には型があるので学べば誰でも出来ますが話せることに制限があります。対話は何でも話せてスタイルも自由で、相手のことをよく知っているほどもっと深い対話ができますね。
このように理想的なのが対話ですが、自由だからこその難しさもあります。
うまく表現できませんが、合う時ってあまり話してなくてもぴったり合っている感覚がありますね。
反対に合わない時はのれんに腕押ししてるように手応えがなくて、いくら努力してもかみ合いません。
会社のビルのロビーに、テレビがあります。夕方になるたおじさんたちがそこに集まるんです。相撲を見るためです。今、稀勢の里が頑張ってますからね。
相撲ではよくあるのですが、お互いの息が合わないと競技が始まりません。制限時間まで仕切り直しです。他の競技のようにヨーイドンの合図で強制的にスタートはしません。
行司が「はっきよい、のこった!」と言っているのはヨーイドンの意味ではなくて、「発気揚揚」という意味だそうです。がんばれがんばれって意味ですね。つまり行司は応援団長もやってます。
対話もそんなふうに、お互いの呼吸が合ってこそうまく行くのだなあと感じました。
言葉だけじゃなくて、心でも行いでもぴったり1つになった疎通をしたいですね。