私たちの先生に対する認識が、監獄や十字架にもなりうるという話でした。
思わず共感してしまうのは、私たちも学校や職場では自由に賛美したりお祈り神様の話はできくて、窮屈な思いをすることがあるということですね。
人は良かれと思って飲み会に誘ってくるし、日曜午前にバーベキューの予定を入れてきます。
また、人によっては、こちらが平和にしているといきなり見下してくる場合もあって、けっこう心情が傷つきますよね。
それでもなんとか話を合わせたり、飲み会では飲めない代わりにお酌して回ったりして、なんとかその場をやり過ごします。
しかし、そこでは本来やりたいことを何もできないわけで、関係性が深まるわけでも、何かが前に進むわけでもありません。
そのように、先生の認識が間違っていたらそれが先生の自由を奪い、閉じ込めてしまうことになるんですね。
ちなみにどうでも良い私ごとですが、私は見た目がそれほど覇気があるわけではないので、けっこう見くびられることが多いです。
ブログでは名前も顔も伏せているから勝手にやっていますが、人前では油断しないようにという気持ちが強いので、気難しい顔になってしまうことが多いです。
先生のようにどこでも笑顔でいられればいいんですが、すっごい見下してくる人とかに会ってしまうと落胆が半端ないです。気にしない先生はすごいよ。