備える時は過ぎ、前もって行う時だ

難しい御言葉でした。

「備える時は終わったから、前もって行って得なさい」とおっしゃいましたね。

「備える」と「前もって行う」の違いから説明されていたんですが、よくわかりませんでした。

具体例として聖殿の話がありましたね。

聖殿は、先生の条件で備えられた。だから前もって行って得なさい、ということです。

ここで少しわかってきました。

祝福の門は開いているということです。

だから、行えば得られるということです。

得られていないのは、行っていないだけだ。時が来ていないところもあるが、落胆せずに行いなさい。ということ。

つまり、霊ではすでに得ているんだけど、私たちの感覚が鈍くて霊の姿を見ることができていないために得られるのかがわからない。しかし行えば霊で得ているように現実でも得られるのだということです。

たぶんそういうことですね。

箴言でも、体は行わないと得られない存在体だと仰っていました。

成功できるかって、すごく一般的に考えると「その人に素質があるかどうか」とか「どれだけ努力したか」なのですが、今日の御言葉から分かるのは「祝福の門が開いているか」ということがとても重要なのだということです。

私がはじめにこの御言葉がよくわからなかったのは、その「祝福の門」が開いているかが見えないからですね。

私も肉的な人間なので、そういうのはさっぱりわからないし、天国の話とか聞いても眠くなる時が多いです。

しかし、先生の条件で聖殿の祝福も経済の祝福も、門は開いている。

そして、今の時としては先生の体を前もって迎える時だから、共にしなさいと仰っていました。

難しい御言葉でした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA