目の前のことに溺れないで目的を見なさいという御言葉でした

遠くを見て、目的を見なさいと仰いました。

東京は人も多いですから、いろんな人がいます。

私も何度か書いてしまってますが、見た目に覇気がないのでなめられることが多いです。

それで見た目に迫力を持たせるためにヒゲを生やすことを考えたんだけど、そうじゃなくて目的を見なさいと。

迫力あるヒゲを生やすためには1ヶ月くらいかかるからね。時間がもったいないよ。ちなみに今日はまだヒゲを剃ってないよ。朝から走っててヒゲを剃る時間もないんだから。

ヒゲの話をしてしまいましたが、目的の話だった。目的がずれていた。

さて、目的地まで行ければ、今起こってる問題は起こらなくなります。

それまでは、目的を見失わないように、今日も方向を確認しながら一歩一歩進んでいくことですね。

先生の目的は、引き上げです。

昨日思ったのですが、日曜日に「生活の中で助けになり同行しなさい」と仰いました。

そして、水曜日に先生自ら実践されて、「ストレス」の話をされましたね。私たちの生活の助けになるストレスの話です。

世の中でもストレスについての話はいっぱいあります。テレビでも雑誌でもネットでも、毎日のようにストレスについて論じています。

それらと先生の御言葉が違うのは、目的ですね。

ストレスの話なんだけど、先生はそこから御言葉に繋げるんです。

これが本当にうまい。ストレスの話をしてるんだけど、そこから霊的な話にうまく繋がっているんです。

「あ、そこからシュート打つんだ」みたいな。「その体勢からシュート打っちゃうんだ」という感じの。

まるで妙技を見ているような水曜礼拝の御言葉でした。

無理やりだったり、不自然な繋げ方ではないんですね。

水曜礼拝の御言葉は、ストレスについて学ぶところがあるだけでなく、「生活で同行しながらも目的がはっきりしている」という証の方法を学ぶことができます。

今朝の御言葉から、気持ちしだいで行動のスピードが変わることがわかりました

知恵の御言葉をくださいましたね。

やることが多くて普通にやったらできないから、霊的な実践をしなさいとおっしゃいました。

今朝感じたのは、私たちの考えはしょっちゅう変わるということです。だからより霊的な考えに転換していかないといけません。

昨日、ちょっとうまくいかないことがあって、ふてくされて寝ました。

今朝、起きた時に朝会の開始時間を過ぎていて、しかもまだ昨日を引きずっていて「もうやだ。今日は起きない。」と思いました。

今から聖殿に向かっても間に合わないから、配信で繋げて御言葉を聞きました。

御言葉が終わってからも気持ちがくすんでて、また横になってしまいました。そしてぐずぐずしていたら時間があっという間にたってしまいました。

「もうやだ今日は会社休む。なんで仕事なんてあるんだ。地球なんて滅んでしまえ。」と思いました。

それでも起きて、なんとか家を出ました。

ところが、自分の調子を良くするルーチンみたいのがあるんですけど、それをやっていたらピンときました。やる気が湧いてきました。

「今日は金曜日だ、仕事も頑張るぞ。地球を作ってくださり神様感謝します。」と思いました。

朝はぐずぐずしていましたが、考えが変わったら全てが早くなり、いつもより早く会社に着き、近くのカフェでゆで卵を食べました。

このように、考えで行ないも変わります。ポイントさえ押さえておけばけっこう簡単に気持ちは切り替わるので、自分のことをよくご存知である主に聞きながらうまく管理していきたいですね。

信仰生活は初恋を取り戻さなければならない

初恋を取り戻しなさいとおっしゃいました。

久しぶりに月明洞に来て「冷たい」と言われたそうですが、久しぶりに会った恋人にいきなり「冷たい」だなんて、恋愛ドラマも真っ青な大ピンチな展開ですね。

心を燃やし続けるには続けて新しい燃料を補給していく必要があります。古いものは捨てていきます。

捨てていくのはもったいないですが、それはやらなければならないことです。

ただ、燃費を良くすることができるなと思いました。

たとえば、昔は石炭を使っていたのが石油になって、電気になって、再生可能エネルギーになっていくように、だんだん効率は良くなっていくものだと思います。

今は捨てることが必要ですが、そのうち捨てないでもうまく新しくできるようになるといいなと思います。

なんか「自分はもう古いから」と諦めてしまう人も多いようなので、こんなことを書いてみました。

初恋を取り戻すということですが、私も摂理は長い人です。

来たばかりのころを正直に言えば、戸惑っていることが多かったですね。

サッカーもやったことない、バレーも知らない、歌を普段歌わない、聖書ほとんど読んだことない。新しいことばかりでしたが、一生懸命まなぼうとしていた気がします。

そのように、今も新しくなっていますが学ばなければならないということですね。

先生は御言葉の中に顔文字^ ^も入れて来ているそうで。

若い^_^負けてられない(* ॑꒳ ॑* )⋆*俺も顔文字使う( ᐛ )σ

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(⌒) ̄ ̄\)
ヽ  /⌒ \
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|    ●)|/しU
ヽ  ヽ_ノノ\/
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\\_Lレ–イ    )  
ぼくプーさん

初恋を思い出させるといえば、新入生に会った時ですね。

この前、朝会に行ったら教会の建物の前に、スーツをビシッと着た若者が突っ立っていたんです。

(あ、他教会の人だな。入口がわからないんだな。)

と思って開けてあげました。

その人はお礼を言って入っていくと、なんか独り言を言いだしました。

「〜〜〜(聞き取れない)しとけばよかったなー。くそっ」

(くそ!?なんだこいつメンバーじゃないのか?あ、一階のテナントの人か。)

後でわかったのですが、今週デビューした新入生でした。

いろいろダメっぷりを発揮していましたが、しっかりスーツでキメて朝会に来て頑張ってるなあ、私もそうやっていたんだ、このようにやらなきゃいけない、と思いました。

行う楽しみについての御言葉でした。

ああ、バタバタしてたら夕方になっちゃったよ。

今朝は実践についての御言葉でした。箴言も「行なう楽しみ」について話してくださっています。

見るだけでなく、食べて楽しみ、そしてその話をして人を来させなさいとおっしゃいました。

日曜日の御言葉を混ぜるなら、食べる動画をインターネットに載せたら大きな楽しみがあるということですね。

私もただ御言葉聞いていろいろ悟ってるだけではもったいないからこうしてブログも書いています。

ユーチューブの動画再生ランキングの上位に「kan & akiチャンネル」というのがあるんですが、子どもがおもちゃで遊んでる動画がいつも投稿されてるんです。

子どもはいろんなおもちゃで遊べて楽しく、さらにそれを動画配信することで広告収入が入りますから、新しいおもちゃが手に入る。それでまた遊んで、また動画配信して、、、という流れができています。

ただ自分だけで遊ぶよりもっと大きくできるんですね。

こういう醍醐味を、私たちも知らなければなりません。

明け方から運営をするという御言葉でした

ブンブン ハロー ココログ。

ヒカキンぽくやってみました。やっぱ文字じゃダメだね。

今までヒカキンといえば、プロの信仰をもってる我々にとっては「ああ、あのいつもくだらない動画を配信して子どもを死亡に導いてはお金を稼いでる人ね。あの変顔、見た目からして黄泉の使いって感じ。まったく見る価値なし。」といった感じでしたが、その認識も古いっちゅうことでしょうか。

ただ、いくら彼らの生活の中に入って行くのだとしても、何もなしに入っていったら波長を悪くしてミイラ取りがミイラになってしまいます。

そうならないための御言葉だし、自分をリセットする明け方の時間ですね。

今朝は明け方のお祈りの価値性について教えてくださいました。

先生のように明け方から摂理国の運営をしなければならず、明け方に方向を決めると仰いました。

先生は、自然聖殿を造るかたわらで演歌を作曲し、しかもユーチューバーについて語るという事態が起こっていますが、ここまで手広くできるのは方向がはっきりしているからですね。

いったい、どれだけの人がこの変化のスピードにぶれずについていけるのでしょうか。

普通にユーチューバーやったら倒れるしブレます。霊の力を受けられないからほとんどの人はやられると思います。

ずっと映像編集してたら健康にも悪いし、夜更かしもするようになっちゃうでしょう。

そうなって方向性を失っているユーチューバーさんがほとんどです。

だから、これからの時代は御言葉ってすごく貴重なんですよ。毎日すごいテンションで動画投稿し続けるなんて普通にやったら無理ですから。

しかも動画編集にはとても時間がかかります。ヒカキンは2時起きだそうですw私らより早いじゃんwいつも楽しそうに動画を配信していますが、その編集作業は孤独だし時間がかかります。

何をするにも、主の帆を立てて行わなければなりませんね。

古いものは捨てる、罪は裁く

やっぱり私は午後から波長が悪くなります。

昨日書いた記事を読んで「なんか雑だなあ」と思いました。

やっぱり朝が良いです。

朝会から二度寝はせずに動くことができるようになってきましたが、午前中で電池が切れます。

午後の時間の使い方を工夫しないといけません。とりあえず思いつくのは、温泉に行ったり遊園地に行ったら楽しいと思う。

さて、今朝は箴言だけでした。古いものを葬ること、罪を裁くことについて話されていましたね。

御言葉を聞いて出勤途中に浮かんできたのは、「文章で何かやる時代はそろそろ古いものになるのではないか」ということです。

これからは動画の時代かな。

そう思うのは、昨日の御言葉で動画配信の話があったからです。

さらに、今は先生も文章でだけ話していますが、もうすぐライブで御言葉を伝えるようになりますしね。

多くの摂理人は動画を配信で見ることになるでしょう。

時代も、その流れをくむように思っています。

今は、検索エンジンで引っかかるのは文章メインのコンテンツです。

しかし、おそらく、テクノロジーが発達して音声認識の性能が向上したら、ググった時に表示されるのは文章のコンテンツではなく、動画コンテンツが多くなるのではないか。そんな予想も立てられます。

ヒカキンとかヒカルが上位表示される日が来るかもしれません。

ていうか、先生そういう人たちのことを知ってるんですね。

あそこではたぶんネット使えないと思うんだけどな。

魂で見たのかな?どうなってるのかさっぱりわかりません。

新しい方向性を示してくださった御言葉でした

新しい方向性を示してくださいましたね。

今までは新婦を作るためにそれほど数は多くありませんでしたが、もう当世最後のひと時だからかもしれません、「はじめからプロを作るようにしてはいけない」とおっしゃいました。

マーケティングの感覚が必要になってきますね。

若い子はこの感覚がとても鋭いです。器を作ってSNSで集客して、ということをどんどん推し進めています。動画配信にも抵抗がない世代ですし。

ついていけてないのは私のような古いおじさんだけですね。

ただ、私も「絶対マーケティングは必要だな」と思っていたので独学では学んでいました。

方向性が間違ってなくて良かった。

せっかく学んだのでここにも書いちゃおうと思います。

御言葉で、「生活の中に入って、少しずつ慣れさせなさい」とおっしゃいました。

これはマーケティング用語でいえば「カスタマージャーニー」に近いところがあります。

カスタマージャーニーとは、文字通り「顧客がたどる道すじ」ということですね。

肉的な道ではなく、認識の道です。

たとえば、ここにすごく美味しい食べ物があるとします。

私はその食べ物を知りません。「無知」です。

しかし、ある時ふと、兄弟がその食べ物を買ってきたとします。

私は言いますね。「なにそれ?」

兄弟は「これすごく美味しいんだよ」と言います。

私はその食べ物について、「無知」から「認知」の状態に移ります。

兄弟はその食べ物をおいしそうに食べます。なのに食べさせてくれません。

私は気になりますね。

すると私は、その食べ物について「認知」から「興味」の段階に移ります。

興味を持った私は、気になって夜も眠れません。

兄弟がおいしそうな顔が頭に浮かぶたび、イラっとします。

そこで「どこで買えるんだろう。」ということになって、ネットで調べたり、または兄弟に直接聞くかもしれません。

私はその食べ物について「興味」から「検討」の段階に移ります。

検討した結果、近くのコンビニで売ってることがわかりました。そんなに高いものでもありません。

そこで私はその商品を買いに出かけました。

こうして、私はその商品について「検討」段階から「購入」段階に至るんですね。

このように、「無知」から「購入」までのロードマップを「カスタマージャーニー」と言います。

これをうまくやるためには「強制する」のではなくて「興味を持たせる」必要がありますね。

あと、それぞれの段階で様々な障害が出てきます。

たとえば興味を持ったけど時間がたった忘れちゃうとか、調べてみたらネガティブな情報ばかり出てきて一気に冷めちゃうとか。買おうと思ったら高くて買えないとか。

そうした障壁をうまく取り除く必要もあります。

あと継続力が必要ですね。

継続されているものは信頼がもてます。

御言葉は、千年続きます!

だから、マーケティングの感覚を持った若い子が継続力を持ってできるかですね。

キャンパス生はそれが弱いかな。ノリでやってるからいつも単発で終わるのが問題です。

ともかく、若い子たちが新しくいろいろ始めると思うので、私もいろいろチャレンジしてみたいと思います。

火についての御言葉でした。

心に火がつけば覆るとおっしゃいました。

火について、このまえ本を読みました。

『サピエンス全史』というベストセラーです。

イスラエルの歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリさんが書いたヒト属の歴史についての本で、その中にヒトが火を発見したときの経緯が書いてあります。

100万年前の地球は、力と大きさがモノをいう世界だったそうです。

サーベルタイガーやマンモスが「より強く」「より大きく」という方向に進化を進めている世界で、脳は大きいが非力な人類は獣に怯えながら暮らしていました。

その明晰な頭脳を持って石器を発明したものの、猛獣相手には役に立ちませんでした。石器はおもに骨から骨髄を削り取るために使っていたそうです。

モンハンのような狩りはそれほど一般的ではなかったみたいですね。え、モンハンを知らないの?なんでなの。

そんな人間でしたが、火を発見してから運命が変わったと言われています。

獣を追い払い、力のない女性でも森1つを焼き払える力を身につけました。栄養の摂取が楽になり、寒冷地でも暖をとることができるようになりました。

こうして人類は増え広がり、地球上に満ちるようになったそうです。

宗教歴史以前の話ですが、共通しているもんですね。

罪とは古いものを捨てられないことでもある

罪についての御言葉でした。

女性は髪の毛の話から御言葉をされることが多いような気がしますがどうなんでしょう。やっぱりいつも気にかけているからかなあ。

髪の毛は、頭についている時は綺麗なのに抜けるとすごく目につきます。

御言葉では、部屋に落ちる髪の毛のように、罪は無くならないものだからいつも綺麗にしなさいとおっしゃいました。

髪の毛が抜けるのは、成長が休止した時なのだそうです。

この体が老いるのも、新しい細胞分裂のスピードが遅くなった時です。新しい細胞ができなくなったら死にます。

そのように、新しく変化できないことは罪であり、そのままでいると死んでしまうということですね。

また、新しくする過程で古いものが出るから葬りなさいということでもあると思います。

そうはいっても、私も古い考え方をしてしまうのですが、どんどん新しくするって節操がないように感じませんか?また疲れません?

もっとゆるりと生きたいという思いがまだあります。こういう認識も変えないといけないですね。

昨日、先生の新曲を聞かせてもらいましたが、ポップでしたね。

この前の新曲は演歌ぽかったのに今度はポップです。

先生の頭の中はどうなっているのでしょう。

普通、音楽をプロデュースする時は同じ系統の曲を続けて作りますよ。その方が作りやすいし、既存のファンのハートをがっちり掴めるんですから。

確かにメロディは似ているところがありますが、二小節目くらいからぐわっと変化するようなイメージがあります。かなり極的な変化です。エクストリームです。

「このくらいの変化に対応できる力が必要か」ということを、曲を聴きながら思いました。

変化して行くことが主を知ること、主に近くすること

この時間にブログを書いているということは、私は会社にきているということです。

配信を見ながらだけど、通信量がバカにならないから芸術祭は後で見るよ。

今朝の御言葉は主をはっきり悟ることについてでしたね。

知るということは、無限にあるのだとおっしゃいました。

今まで知っていたとしても、それで満足してはいけなくて、変化していかないといけないということですね。

私たちはある程度の水準を達成すると「ここまできたから満足」という判断をしますが、そうではないようです。

企業や政治ではよく「持続可能な成長」という言葉を使います。

それは「一定の水準をキープすること」が良いのではなくて、「持続的に変化して成長して行くこと」が本来あるべき姿なのだということです。

主を知る、近くするというのは「主から手紙をもらった。宝物だ。」といったこともそうですが、「主と近くした。ここにずっといよう」という過去の栄光にしがみつくのではなく、季節は常に移り変わって行くように時代も変わっていくのだから、私たちもそれに合わせて常に変化して行くこと。これが「主を知る」「主に近くする」ということなのだと思います。