いつも確認しながらやらないとズレていく

確認についての御言葉でした。

「主の意向通りに」と言いながら確認もせず自分勝手にやるからいろいろな問題が起こるのだと仰いました。

箴言でも〈引き上げはそんなにやさしいことではない〉とおっしゃっていますが、主の意向通りに続けて実践していくのはなかなか難しいことです。

それは例えば、恋人に続けて喜ばれるようにするのが簡単ではないことと同じです。

少し間違えると「これは君のためにやっていることだから」「これは君のためを思って言ってるんだよ」と言いながらやっていることが相手を傷つけてしまうこともありますね。

主が喜ぶことなのかどうかをいつも考えないといけません。

仕事をするときも確認しないと損をします。だから、行う前にそれをやっていいかの確認、実践を始めてからもこのやり方でいいのかの確認、一緒にやる人の中に詐欺師がいないかの確認、実践しすぎ体を壊していないか健康診断で確認、確認確認確認。

すべてのことについて確認し、一回でやりきることが一番神様も安心することです。

ただ、これは私もよくやってしまうのですが、「確認が終わってからやろう」と考えて慎重になりすぎてなかなか実践しなかったり、無難なことしかやらずに古いやり方でばかりやって新しくしなかったりすることがあります。

昨日このブログの最後にも書きましたが、私はやらなきゃいけないことがあるんだけどちょっと心配なことがあって、まだやらないでいます。
言い方によっては「確認がまだ取れていないからやっていない」なのですが、ちょっとこれはこじつけですね。

また、よくあるダメな例としては、新しいことにチャレンジしている人に対して「そんなことしていいの?ちゃんと確認を取ったの?」と言って止めてしまうこともありえます。

イエス様はユダヤ人に「なんの権威でそのようなことをしているのか」と言われましたし、先生も岩の造形を作るときにはたくさん止められました。そして実際に岩は何度も崩れました。先生を止めた人は「ほら。御心ではないからだ。」と言ったそうです。

しかし、先生は最後までやりきりました。

確認しなかったのは、先生を止めた人達の方でしたね。

つまり、誰でも先生のように最後までやることが必要です。

箴言では実践について、人生を長いと思わないで1日だと思いなさいと仰いました。

何があっても今日で終わりだと思えば、わりと頑張れるよ。

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