自分にとって最高のものは自分ではわからないこともある

位置についての御言葉でした。

「位置が大事だ」という先生の歌も発表されましたね。

私たちはよく「これが一番自分に良い」と思ってモノを買ったり、専攻を決めたり、仕事を選んだり、人を選んだりしますが、それが本当に自分にとって最高の位置なのかどうかは、人間的にはわかりません。

特に今は新しくする時なので、新しいことをすると経験もないぶん、何をどうしたら良いのかわからなくなってしまうこともあります。

何かを作ろうとして、目にあたる部分を足につけてしまって変な作品ができてしまったり、岩を横に並べるところを立ててしまって崩れたり、そんなことをよくしています。

だから「自分を一番良い位置に導いてください、と祈りなさい」とおっしゃいました。

そして、その位置の話から、先生の位置についても話してくださいました。

先生は、あなたの隣にいるのだということです。

これがわかれば、行ないも霊も大きく変わるのだとおっしゃいました。

箴言でも実践について話してくださっています。

はじめは微弱だが後では大きくなると仰いました。

教会を買うことも、今ばかりを見ないで将来を見ることを話されていました。

長所と短所の話もされましたし、ベーカリーには6/28水曜礼拝の御言葉「<大変なこと>ばかり考えないで、<よいこと>を考えなさい」も更新されて新着に上がってます。

私の個人的な体感では、今までほんとに摂理的に大変な状態が続いたせいか、少しくらい大変でもあまりへこたれなくはなりました。

これ自体は良いことなのですが、この良くないところは、「大変でもなんとかやれる」という気持ちが、もっと良いことに対する目を塞いでしまうことです。

たとえるなら、慢性的にひどい肩こりが続いたせいで、肩が凝っていることをなんとも思わなくなってしまっているような、そんな感じです。

自分の最高の位置ってなんだろ。マジでわからん。祈らないと。

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