伝道に関する御言葉でした。
つい笑ってしまったのが、「あなたで終われば希望がない。あなただけが主と聖三位を迎えるなら、それが何の希望なのか。」という箇所です。
昨日の御言葉でも、つたてえくださった方が「私が努力して得たものの中で、主と共に享受できるものはありますか?」と聞いたそうですが、もう個人が「何かをもらう」ための信仰の時代は終わりなんだということを感じました。
主のために何かをして、それをみんなで共有する、というのが今の考え方なんだなあと思います。
昨日もブログに書きましたが、今は個人が尊重される時代です。
YouTubeやmixchannel、showroomといった自分をアピールできる場が今は整えられていて、それぞれがそれぞれのメッセージを発信しています。
影響力の強い配信者は「インフルエンサー」と呼ばれたりします。
これは語源が「インフルエンザ」と同じで「影響力が強い」という意味を表しています。
聖書には、パウロが「お前は疫病のような人だ」と言われたことが書かれていますが、パウロは今で言うインフルエンサーだったんですね。
また、特にIT企業では、企業のメッセージを伝える広報の人のことを「エバンジェリスト」と呼ぶことが多くなりました。
エバンジェリストの元は、そのまま「Evangelism(伝道)」ですから、彼らは伝道者なんですね。伝えているのは福音ではなく企業の宣伝ですが。
「伝道」というと私たちの頭の中に浮かんでくるのはキリスト教の宣教師たちです。
聖書を片手に、裾の長い黒い服を着て、穏やかに話している。そして頭には輪っかがキラキラ光っていたり後光がさしていたりする。
中には頭がハゲている人もいて、「伝道するとハゲるのかな」と思う人がいるとかいないとか。
そういうイメージが今もあるから、キリスト教の多くは今も各家を訪問して聖書を配ったり、わざと昔の言葉遣いを使って説教をして権威を見せようとしています。
しかし、そのやり方に固執する必要はない、というかもしかしたらもう古いものになっている可能性があります。
「伝道者」も「エバンジェリスト」も意味は同じだけど、イメージがずいぶん違いますね。
昔のやり方で、おじいちゃんが各家を回って伝える福音よりも、今は若い女の子がshowroomでぐだくだ話しながら「これ使ってみた」と紹介した商品の方が受け入れられます。ばかばか売れるそうですね。
何がいいのかわからないけど、そういう時代です。昨日も書きましたが、私の職場にもそういう子がいて、推しのアイドルのCDを20枚買うとか、友だちに頼んでライブのチケットの抽選開始から予約を入れまくるということを普通ににします。
「Googleのエバンジェリスト」というとめっちゃかっこいいですが、これはもともと「福音の伝道者」が核として真似しでできたものです。
なのに、やり方だけ真似した彼らだけがカッコよくて、福音を伝える人はなんかうさんくさい。これはちょっと癪に触ります。本家本元はこっちなんだから。
核をわかって、あたらしくおこなっていきたいですね。
ちなみに、これは私の予想ですが、御言葉をうまく証できる力を付けると、ビジネスで成功するのはかなり簡単かもしれません。