先生のためのお祈りの条件が始まりました。
先生は最近「暑い」とか「手が動かない」ということを全く仰らなくなりました。だからと言って苦痛が和らいだわけではありません。私たちは外に出ると「暑すぎて死にそう」とすぐに思い、先生が受けられている十字架については考えないことがありますが、そういう体験をした時こそ主のことを考えて、正しくその気持ちをわかって条件を立てたいですね。
今日の御言葉では、神様は、それぞれの人を「愛の次元で」分けるのだと話してくださいました。
学校では頭の良さで人が振り分けられ、職場では能力や在籍年数で給料が決まりますが、神様は公義な方なので、その人の愛によって接し方を変えられます。
いつも「行なった通りに接する神様だ」と仰いますが、その人が神様に接したように、神様も接します。
だから、聖書を読んでその一節に感動を受けて歴史を動かしたリンカーンのような人もいれば、神様について価値なく接して、イエス様に「すると、彼らに答えて言われた、「邪悪で不義な時代は、しるしを求める。しかし、預言者ヨナのしるしのほかには、なんのしるしも与えられないであろう。」(マタイによる福音書 12:39)と言われて放って置かれた人もいます。
神様側はとても大きな祝福の器を持っているのだから、それを受ける器を用意して、祝福を探したいですね。
今週は、万物から見つけなさいと仰いました。