聖書の「求めよ」は、ただ「欲しい欲しい」と思うことではない

今朝の御言葉は先生の映像説教でした。

様々な話題がありました。

・神様からもらうばかりでなく何かして差し上げなくてはならないこと
・上に登っていくのは良いけど、その人を超えて登っていくのは失礼であること
・求めることについて

メインは「求めることについて」でしたね。

先生の故郷を例に出しながら、過去にはハゲ山で何もなく人も全く来なかった場所を、“求めて”人々が大勢あつまる場所に作りました。

御言葉を聞くと、“求める”という言葉の意味が、「ただ“欲しい”と思うことではない」ということがわかりますね。

先生はとてつもない実践をされています。

それを、先生は「求めたからもらった」と表現しているところが印象的でした。

あと印象に残ったのは、御言葉の中で「月明洞の価値をもっと知らなければならない」とおっしゃっていたところです。

この言葉は弟子たちに向けて言われたことであるかと思いきや、このときの先生って、月明洞に様々な形象があることをご存じないんですよね。

先生ご自身に言ってる話なのかな。少し面白かったです。

続いて伝えられた箴言では、考えと肉体のバランスについてでした。

昨日は「刺激があってこそ脳が機能する」と仰いましたが、いくら考えが良くても、肉体が弱かったり具合が悪いと実践できないのだと仰いました。

私も具合が悪いとすぐに考えが変わってしまうところがあるので、気をつけたいと思います。

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