この体を使って自分の霊のために生きる

今朝は先生の映像説教と箴言でした。

映像説教ではどんな話をされていたのか、、、恥ずかしながら実はあまり覚えていません。

というのも、御言葉の前の賛美導きで力尽きてしまったからです。

準備に張り切りすぎて本番大事なところでコケたみたいな感じです。

けっこう力を入れてやったら、終わった後も頭に残響が残って、うまく御言葉が入ってきませんでした。

そういう経験があるという話はよく聞きます。

伴奏の方で、あまりに熱心にやりすぎて御言葉の時間に寝てしまったとか、使命にバタバタして御言葉が入ってこないとか。

「それは優先順位が間違っているねえ。御言葉が核ですよ。ははは」と言われればそれまでですが、実際やってみるとそう簡単なものでもないです。

特に明け方は声も出ないし、人も少ないし、しかも寝ぼけているし、直前まで静かに祈っている(一部寝ている)中で賛美をするのだから、なおさら天だけを見て集中しないといけません。

日曜日にも歌手をやりましたが、明け方の方が何倍も大変です。

歌手でも大変なんだから、明け方も主日も説教をしている牧会者はもっと大変だろうと思います。

御言葉はよく覚えていませんが、箴言は読み返しました。

霊の話をしてくださいました。

この体を使って霊のために生きるということ。

日曜日にも、体という木から霊という実を結ぶ話をされていました。

私たちは日常、仕事やバイトをしています。その時は、この体を使ってお金を得ています。

そのように、体を使って、霊のために生きることが、私たちが豊かになるために一番必要なことです。

もう、時間が。

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