先生を守る祈りをする。成功者への内助が必要

今朝の御言葉では「先生を守る祈りをしなさい」と仰いました。

今の時代だからおっしゃる話ですね。

なぜなら、主人は僕に対して守ってほしいとは言わないし、親も子どもに対して守ってもらいたいとは思わないからです。

主人が僕たちの生活を守らなければならないし、親が子どもの面倒を見なければならないのであって、その逆はあまりありません。

稀な例として、優秀な部下が主人を助けるという例はあります。

旧約聖書にも、その時代の中心人物が王を助ける例がいくつか出てきます。

子どもが親の面倒をみるというのも、たまにはあります。

失踪した父親の代わりに子どもが稼いで母親を助け、大きくなってから父親を探すという話を、昔テレビで見たことがあります。

しかし、それは一般的な話ではありません。

主人は僕が生活できるように給料を支給することが法律で決まっているし、親が子どもの面倒をみるべきことも法律で決まっています。

ところが、恋人の場合は違います。

どちらかがどちらかを一方的に助けるわけではありません。

役割の違いはあるけれど、その行なうことは相方を助けるためのものです。

成功者はよく「妻がいたからこそ、今の自分がある。」ということを言います。

自分の努力だけで成功したわけではないのだということです。

あえて固有名詞を使いませんが、巷では、男の運勢をあげる女性、また逆に男の運勢を下げる女性というものがいると言います。

「自分はどういう内助ができるのか。」

そういうことを考えないといけないですね。

玉の輿に乗りたいとか、先生についていけばいいことあるんじゃないかとか、そういう新婦は先生の足を引っ張るだけです。

新郎は宝くじじゃありません。

玉の輿に乗りたいなら、男が玉の輿を準備できるようにしっかりサポートしてあげないといけませんね。

先生が良くおっしゃる「内助」が必要だということです。

この体を使って自分の霊のために生きる

今朝は先生の映像説教と箴言でした。

映像説教ではどんな話をされていたのか、、、恥ずかしながら実はあまり覚えていません。

というのも、御言葉の前の賛美導きで力尽きてしまったからです。

準備に張り切りすぎて本番大事なところでコケたみたいな感じです。

けっこう力を入れてやったら、終わった後も頭に残響が残って、うまく御言葉が入ってきませんでした。

そういう経験があるという話はよく聞きます。

伴奏の方で、あまりに熱心にやりすぎて御言葉の時間に寝てしまったとか、使命にバタバタして御言葉が入ってこないとか。

「それは優先順位が間違っているねえ。御言葉が核ですよ。ははは」と言われればそれまでですが、実際やってみるとそう簡単なものでもないです。

特に明け方は声も出ないし、人も少ないし、しかも寝ぼけているし、直前まで静かに祈っている(一部寝ている)中で賛美をするのだから、なおさら天だけを見て集中しないといけません。

日曜日にも歌手をやりましたが、明け方の方が何倍も大変です。

歌手でも大変なんだから、明け方も主日も説教をしている牧会者はもっと大変だろうと思います。

御言葉はよく覚えていませんが、箴言は読み返しました。

霊の話をしてくださいました。

この体を使って霊のために生きるということ。

日曜日にも、体という木から霊という実を結ぶ話をされていました。

私たちは日常、仕事やバイトをしています。その時は、この体を使ってお金を得ています。

そのように、体を使って、霊のために生きることが、私たちが豊かになるために一番必要なことです。

もう、時間が。

自分の霊の格好は、自分の行いで決まる

今日の御言葉は、「自分の霊は自分の行いで作られる」ということについて話してくださいました。

愛と義を行なえば、霊は美しく作られるそうです。

反対に、自分の行いに矛盾があれば、霊は醜い形になってしまうとも仰いました。

「そんなの関係ねえ!俺は俺の人生を好きに生きて行くんだ!」と思う方もいらっしゃるかもしれません。

たしかに、自分の思う通りに生きているのが一番たのしいです。

ただ、私も経験したことがあるのですが、好きに生きているとその時は楽しいのですが、環境が変わった時に対処できなくなるんですよね。

たまに何かのお祝い事で超高級なレストランや社交場に行ったときに、「うわっ、自分のこの格好、場違いすぎてヤバイ」と感じたことはないでしょうか。

私はやっちまったことがあります。

いつも仕事でクタクタになったワイシャツを着ていて「これが一番らくだ」と思っていたのですが、ある日、両親に誘われてクラシックコンサートに行きました。

普段通りの楽な格好で行ったら!みんなすげー上品な格好をしていて、ドレスとか燕尾服とか着ていて、ロビーでは楽器の演奏があってそれに合せて社交ダンスとかする人がいました。

「こんはずでは…」と思いましたよ。いつも着慣れている服が急にみすぼらしく感じて、すごく恥ずかしい思いをしました。

そんな私の様子を見て、燕尾服で踊ってる紳士がニコリと微笑むんですよ。

最高にみじめでした笑

こんな風に、自分の姿というのは普段の生活ではなかなか意識することがありません。

しかし、その日その時にはすべてが明らかになります。

霊の姿もそのようで、どのような姿をしているかは、自分が楽であるかどうかとはまた別の判断基準で決まっています。

御言葉では「苦労しても命の道に行きなさい」と仰いましたが、そのように、愛と義を行なって美しく作りたいですね。

ニュースを見るのは時代の流れを見て自分が何をするか決めるため

私たちがニュースを見る理由として、「世の中の流れを知って自分が何をするかを決める」という点が挙げられると思います。

ただ「ものしりになるため」ではありません。全体を把握してよりよい選択をするために見ます。

世の中は変わっていくので、その時その時で「やっていいこと」と「やってはいけないこと」というものがあります。

極端な例を挙げると、昔は刀で人を斬ってもオッケーでした。今は絶対にダメです。

他の例を挙げると、スポーツをやっている方もわかると思います。ルールの変更ってけっこう頻繁にありますよね。このルール変更を知らないままプレイしたら、ファウルを取られます。

私はこうしてブログを書いていますので、簡単にではありますが著作権関係について世の中の流れや官公庁がどう発表しているのかをウォッチするようにしています。

そのように、時代は漸進的に変わっていきます。それは、大きな視点で見ると、神様が人間の次元に合せて導いているからです。

だから、私たちはそれに合わせて行うことが一番の近道です。

今朝の御言葉は、「御言葉が出た時に行なえばやさしい」とおっしゃいました。

自分のやりたいことをやってもうまくいかない時、それはやりたいこととやるべきことがうまくマッチしていないからかもしれません。

固まってしまった脳をほぐす方法

今朝は、凝り固まった脳をほぐす方法について話してくださいました。

固まった脳というのは、自分の思い込みのことですね。

年を取り様々な経験をするほど、人は思い込みが多くなります。

その思い込みは経験から身についたものだから、間違っているものではないんです。

むしろ、正しい判断をするのに役立ったことがあったはずです。

ただし、「その当時は」という条件付きですね。

思い込みは習慣となって、私たちを楽にさせますが、時は流れていくので、その常識が通じなくなる瞬間がやってきます。

その瞬間、私たちの「良い習慣」は「悪い癖」になってしいます。

御言葉で出た「悪癖病」ですね。

だから、今朝の御言葉では、そのような凝り固まった脳をほぐす方法として「心を開けなさい」とおっしゃいました。

偏見なく、いつも神様の公平な視点で見ようとすることが大切ですね。

さらに箴言では「魂、霊で考える」ということもおっしゃっていました。

これは少し難しいです。

人は肉、魂、霊でできていると御言葉では学びます。

肉だけで考えているのは一方向からしか見ることができません。

だから、魂、霊も使って考えることが必要です。

魂は、一瞬でどこにでも行けるし、肉眼では見えないところも透過して見えるそうです。

ちょっと難しいし、もしかしたら笑い話かと思われるかもしれません。

しかし、最近の学説でも「量子テレポーテーション」が実証されていて、光より速く一瞬で移動するという数々の実験が成功しており、研究は日々進んでいます。

まずは、お金も時間もかからないし、試しにやってみてはどうでしょうか。

ちなみに、夢は魂の活動だそうですよ。

夢についても、先生はたくさん話してくださいます。

歴史は一人一人の人生の積み重ね

今朝は御言葉では、今の時について話してくださいました。

そして箴言では、歴史という大きな時について教えてくださいました。

私たちはいつも「聖書の歴史」という大きな時の流れについて学んでいますが、それは元を辿れば一人一人の中心人物たちが少しづつ義を積み重ねてきた結果です。

その流れがバトンを繋いで今に至っているんですね。

今というこの時に何をすべきか、今に生きている価値をわかってやるべきことをやっていきたいですね。

人生を積み重ねたものが歴史になる

今朝は御言葉では、今の時について話してくださいました。

そして箴言では、歴史という大きな時について教えてくださいました。

私たちはいつも「聖書の歴史」という大きな時の流れについて学んでいますが、それは元を辿れば一人一人の中心人物たちが少しづつ義を積み重ねてきた結果です。

その流れがバトンを繋いで今に至っているんですね。

今というこの時に何をすべきか、今に生きている価値をわかってやるべきことをやっていきたいですね。

人はその位置の影響を受ける

東京は雨が降っています。

兄弟が教えてくれたことによると、15日連続で降り続けているらしく、これは40年ぶりの出来事だそうです。

降り続けているといってもほとんど小雨です。そのせいで気温が低く、過ごしやすいのはありがたいです。

みなさんがお住いの所はどうでしょうか。

場所によっては大雨が降ったり、逆に猛暑になったりしていると聞きます。

どこに住んでいるかで、環境が変わってきますね。

海外に目を向ければ、その差はもっと広がります。

日本は朝でも夜の国があるし、今が冬の国もあります。

さらに、こうした外的な違いだけでなく、内的なこともその位置、その場所によって様々な違いがあります。

資本主義の国もあるし、共産主義の国もあるし、独裁国家もあります。

私たちが住んでいる場所の天気の影響を受けているように、生まれ育った国の体制の影響を強く受けています。

さらにさらに、時代によっても違いが出てきます。

今はスーツを着て電車に乗って会社に行く人が多いですが、私たちが江戸時代に生まれていたら、裃を着て馬に乗ってお城に向かっていたかもしれません。またはもう少し未来に生まれていたら、テレワークが当たり前になって、好きな格好で近くのコワーキングスペースで仕事をしているかもしれません。

そのように、私たちは生まれた位置にも影響されますし、生まれた時代の影響も受けています。

今日の御言葉では「位置がその人を作る」とおっしゃいました。

私たちは、世界的に見ると比較的自由にできる環境にいまずは。1時的とはいえ、先生がいる場所に比べたらどれだけ恵まれているでしょうか。

またとても恵まれた時に生きています。

そのことに感謝し、価値をわかって使わないといけませんね。

天国の位置

最近の御言葉では「位置の大切さ」について教えてくださることが多いです。

「位置が大事だ」という歌を先生はすでに3つも作られましたし、今朝の箴言でも位置について話してくださいました。

そして、箴言の前の御言葉では「天国の位置」について教えてくださいましたよ。

さて、天国はどこにあるでしょうか。

答えは、ダラララララララララ……

ジャン!

「あなたの隣」にあります!

イェー!!

ドラムロールを文字でやるのは無理がありますね。

それはともかく、天国はすぐそばにあります。

聖書にもこう書いてあります。

「神の国はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた、「神の国は、見られるかたちで来るものではない。 また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」。」ルカによる福音書‬ ‭17:20-21‬ ‭
毎日天国を感じるためには、笑顔でいなさいと仰いました。

「いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。」テサロニケ人への第一の手紙‬ ‭5:16-18‬

今日は終戦記念日です。

日本の都市部の多くが焼け野原になりましたが、そこで悲観的になったりアメリカを憎んだりすることなく、前向きに復興に取り組んで、世界の先進国に返り咲きました。

以前、1950年くらいに政府が作った資料を見たのですが、そこで「何もかも無くなっちゃったんだから、また新しく作ればいいじゃない。」みたいなことを言っていて、私は(日本ってどんだけ楽観的な国なんだ)と思った覚えがあります。

そうしたフットワークの軽さが戦後復興を遂げた力になったことは確かだろうと思います。

大変なことがあっても、すぐ隣にある天国を探したいですね。

大きなチャンスは見えないから逃しやすい

時について御言葉を伝えていただきました。

主日にも伝えられた、時についての御言葉です。

神様は時に従って働かれます。

一日の中にも昼があって夜があり、一年の中にも夏があって冬があり、人生の中にも子どもの時がありおじいさんの時があり、歴史の中にも旧時代と新時代があります。

その時に合わせて行わなければなりません。

太陽が昇ったり沈んだり、人が成長したり老いたり、という時は見えるのでわかりやすいです。

しかし、時代の時は見えないのでわかりづらいです。

わからないのは、盲人だからです。

だから、わかっている人に教えてもらわないといけないんですね。主日の御言葉でもそう仰いました。

なぜ盲人になっているかというと、私たちが自分を中心にしているからです。

自分の命は長くて百年ですから、それ以外のことは考えないのがいちばん楽です。それが人間の領分だと思うでしょう。

しかし、この歴史は神様の歴史です。

本当は、千年が一日のように動いています。その歴史を、神様は人を使って進めているんです。

百年単位、千年単位で動く「時」というものがあります。

見えないけど、時は確実に動いています。

今、この時も着実に進んでいます。

だから、その大きな動きに盲人になって何もアクションを起こさないのは、とてつもないチャンスを逃していることです。すごくもったいないんです。