万物から得られる聖霊様の知恵

今朝の御言葉は、様々な万物の例をあげながら聖霊様の知恵について話してくださいました。

部屋でお祈りしていた時、ふと目を開けたら虫を見つけた。

そのことを通して、「サタンは霊の目を開いてこそ見える、サタンは隙を伺って入ってくるから気をつけなさい」と仰いました。

昨日の水曜礼拝でも、先生が万物について「穴が空くほど見なければならない」と仰いました。

先生が月明洞で火のように御言葉を伝えている姿に力を受けましたね。

先生は、雨の話とかキノコの話をされました。

先生は「キノコは美しい」っていいましたが、本当にきれいなのか、私は疑問に思いました。

しかし、広い世界には美しいキノコも存在するんですよね。


こんなキノコもあるんですね。

あるゲームでは、キノコを取ると体が大きく成長しますが、そんな使われ方もされているように、栄養もたくさん含まれている食材です。

あと、私ごとですが、昨日すごく久しぶりにカブトムシを見かけたんです。

いつも昼休みは外で文章を書いているのですが、目の前の草むらでゴソゴソしてるのがあると思ったらこいつでした。

カブトムシって夜行性なのに、なぜ昼間に目の前に現れたのか。

これはしるしだ。

きっとしるし。

何かのね。

まあ、カブトムシ見つけた嬉しさに、なんのしるしなのかまでは、あまり考えてなかったんだけどもね。

あ、カブトムシは昆虫の王様として有名ですね。

すごく力が強いです。


日曜日には、先生が黒いキリギリスを通して重々しさを発見されましたが、私はキリギリスでは重々しさなんて気付かないから、わかりやすくカブトムシで見せてくださったのかもしれません。

周りと比較するのではなく、それぞれに金メダルが用意されているのが神様の公義

今朝の御言葉では神様の公義について話してくださいました。

神様の公義は、誰かと比較して順序をつけることではないと仰いました。

一人一人、スタートも違うしゴールも違うから、個性に応じて心と思いを尽くし、その結果としてそれぞれの賞を受けるのが公義だといいます。

たとえとして、スポーツが出ていました。ある人は走りで、ある人は水泳で、ある人はサッカーでそれぞれメダルを取ります。

もうすぐ世界陸上ですね。ウサインボルト最後のレースです。

また、甲子園ももうすぐ始まります。地方大会で早実の清宮が高校最多のホームランを目指していましたが、惜しくも実現しませんでした。でも、崩れてもまた立ち上がる精神でもっと良いものを目指して欲しいですね。

そのように、個性の金メダルは各個人に用意されていて、一人一人が周りと比較するのではなく、自分と戦うことが求められています。

神様の世界には数千数万の働きがあるといいます。

自分に用意された祝福を目指して、やるべきことを主と共に見つけ、行いたいですね。

愛の次元で分かれる

先生のためのお祈りの条件が始まりました。

先生は最近「暑い」とか「手が動かない」ということを全く仰らなくなりました。だからと言って苦痛が和らいだわけではありません。私たちは外に出ると「暑すぎて死にそう」とすぐに思い、先生が受けられている十字架については考えないことがありますが、そういう体験をした時こそ主のことを考えて、正しくその気持ちをわかって条件を立てたいですね。

今日の御言葉では、神様は、それぞれの人を「愛の次元で」分けるのだと話してくださいました。

学校では頭の良さで人が振り分けられ、職場では能力や在籍年数で給料が決まりますが、神様は公義な方なので、その人の愛によって接し方を変えられます。

いつも「行なった通りに接する神様だ」と仰いますが、その人が神様に接したように、神様も接します。

だから、聖書を読んでその一節に感動を受けて歴史を動かしたリンカーンのような人もいれば、神様について価値なく接して、イエス様に「すると、彼らに答えて言われた、「邪悪で不義な時代は、しるしを求める。しかし、預言者ヨナのしるしのほかには、なんのしるしも与えられないであろう。」(‭‭マタイによる福音書‬ ‭12:39‬)と言われて放って置かれた人もいます。

神様側はとても大きな祝福の器を持っているのだから、それを受ける器を用意して、祝福を探したいですね。

今週は、万物から見つけなさいと仰いました。