価値を知っている人が多くを得て、知らないと得られない

今朝の御言葉では、「貴重さをわかる人が価値あるものを多く得る」と仰いました。

何が貴重で何が貴重でないのかを分別できる。そのような知恵のある人が得るものを多く得ることができます。

先生はよく陶磁器の話をされます。

骨董品の世界は、貴重さを知っている人と知らない人が分かれている世界だからです。

貴重さをわからない人は陶磁器を安く売ってしまい、わかる人がそれを買って博物館に飾って成功する、という話です。

日本でも「なんでも鑑定団」でおなじみですね。

素人目には貴重さがわからないものが、わかる人にはとても価値のあるものであることがあります。

世の中、値札がついてるものなんてほんの一部ですから、価値のあるものとないものを分別できる知恵が必要ですね。

御言葉に続く箴言では、健康について話されました。

「自分の健康」なんて特に、ふだんはあまり気にかけないけどめちゃくちゃ貴重なものです。

昔から「体が資本」と言われています。この体を貴重に思って使う人はたくさんのものを得て生きているし、むやみに使ったり怠ける人は得るものがありません。

先生は、健康管理のために運動や健康診断の話をよくします。

「信じれば治る」という類の話はしません。

「具合が悪ければ病院にも生きなさい」と言います。

信仰をもっていると、「祈れば治る」「信仰が良いから神様が病気にならないようにしてくれる」という思いをもってしまうことがありますが、そうした奇跡はなかなか起こるものではないことを話されました。

僕も思い込みをもつことがあります。

最近、歯医者に行ってないんです。

なのに、「たぶん大丈夫」という気持ちがあります。

はっきりいうが、根拠はない。

なぜ大丈夫だと思うのかというと、現実を知りたくないんですよね。

歯医者に行って、医者に「うわー!なんでこんなになるまで放っておいたの。これは大工事だ。10万円はかかるよ。」といったようなことを言われたら、と考えると少し怖い。

そうした現実から逃げるために「大丈夫だ」と思い込んだり「神様が守ってくれる」といった理由をつけているとしたら、間違いですよね。

たぶん神様は奇跡を起こしてくれないでしょう笑

信仰はそういうことのためにあるのではなくて、神様と愛を結ぶためにあるものですね。

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