「会ったら話をしなければならないのか」問題というものがあります。
「会ったからには話をしなければならない」、「話すことがない時間が気まずい。」
このように感じる人は多いですし、私もいつも感じます。
たとえば会社の飲み会の時、5人10人も人がいるのに誰も話さなくなる瞬間ってあるじゃないですか。
そういう時、気まずいんですよねー。
まるでゴッドファーザーの映画で、ファミリーが長いテーブルを囲んで静かに食事をしているシーンのようになります。
薄暗い部屋の中、フォークを動かす音だけがする、あの緊迫した雰囲気。この中の誰が裏切り者なのか…。
こわっ。
そうなってしまわないように、誰かが「あはは、今日はみんなおとなしい人だから、静かな飲み会だねっ」といって雰囲気を作ろうとしてくれたりして、みんな「そうだねっ、ははは」と笑ったりして、この流れをどうにか変えなきゃいけないと焦って、と、なかなか厳しいものがあります。
話すことがないときはダメ。
そうした風潮に、今日の御言葉では「そんなことはないよ。」と話してくれました。
私たちから話すことがないとしても、神様から話すことはたくさんあります。
なぜなら、愛しているからです。
愛しているから、会いにきてくれただけで嬉しい。
それが神様の気持ちなんですね。そんな愛を、先生はいつも現してくれています。
本当に愛している人同士って、会話がなくてもわりと平気だったりしますね。
会えれば、気持ちのやりとりができて、それで満足。恋人同士ではそういうことがありますね。
ヘタに話すと逆に雰囲気が壊れたりします。
また、家族もあまり話をしなくても大丈夫な存在です。
「とにかくいてくれたらいいんだ。」親は子どもにそう思っています。
親元を離れてる方は、定期的に親に連絡とった方がいいですよー。
会えればそれで満足しますので。
好きだからたくさん話したいことがあるということもあります。好きだから話さないでも大丈夫だということもあります。
どちらにせよ、愛を中心にして行なっていきたいですね。