今日は感謝の御言葉でした。
誰にでも大変なときはあるけれども、感謝をして乗り越えるのだと言いましたね。
そして、先生がたくさんの困難を感謝で乗り越えてきたことを話されました。
本当に、たくさんの困難がありました。今もまだ困難の中にいるけれども、10年間毎日神様に栄光を帰していた姿を私たちは見ました。
数ある困難の中の、どの瞬間かでも落ち込んだり諦めたり憎んだりしていたとしたら、これから起こるはずの宴会のひと時もなかっただろうと思います。
そして、その「無い」という状態が現実のものになっていたはずなんです。
新しい歌も無い、月明洞も無い、愛する弟子たちもいない。
獄を出てきて寂しい余生を暮らすのが、感謝しなかった人、というか普通の人は皆そうです。
映画で見たことあるじゃないですか。
木枯らしが吹く中、無骨な建物の鉄の門を開けて出てくる1人の男。彼は10年前に濡れ衣を着せられてここにいることになった。当時こそ少し世間を賑わしもしたが、10年経った今、あの事件を覚えてるものは誰もいない。世の中は自分の幸せを追いかけるために忙しいのだ。彼の出所を祝ったのは、長年彼の世話をした看守1人だけだった。さあ、これからどこに行こうか。男はひとつ身震いをして、曇り空の中に足を踏み出した。
つって。重いねー。
でもこういうのが普通なんですけどね。「人生終わった」と思うのが普通でしょ。
でも、先生は勝利したんだよ。
先生が出てくるとき、木枯らしが吹いてるのは変わらないとして、帰る場所があり、そこが大きく栄えていて、たくさんの人が待っていて、というのがあり得るのは、ただ感謝して困難を乗り越えてきたからに他なりません。
こういうのねー、サタンとしては、とっても困るんだけどね。