あまり親しくない人と話すときや、人前で発表する時に必要なものは「自信」です。
自信とは「自分を信ずる心」だと辞書には出てくるのですが、このブログは摂理のブログなのでもう少し深く考えて見たいと思います。
自信を持てと言われて無理やり「自分はできる、できる!」とおまじないをかけてもできないときはできません。手のひらに「人人人」て書いて飲み込んでもやっぱり緊張します。
無理しているのが周りに伝わってしまい、場が冷めてしまったり、不信感を抱かれてしまったりして、うまくいきません。
摂理の御言葉ではどういっているのか。
「胎が温かい時に命が産まれる」
先生はこういう表現をします。これについて少し考えてみたいと思います。
命は、愛で生まれます。そして、お母さんがちゃんと健康であってこそ、健康な命が誕生します。
これは、人と話す時にも言えることなんです。
つまり、自分が十分に温まっていてこそ、相手の心も動いて打ち解けることができ、目的を成すことができるということです。
だから、自信とは「自分にエンジンがかかっていること」だとも言えるでしょう。
御言葉では「聖霊の火」というものがあって、これが一番強くていろんな不可能なことを可能にするのですが、それについては先生から学んでみてちょ。
自分が温まっていないと、それが周りになんとなく伝わってしまって自分なりに頑張って素晴らしい話をしてもうまくいきませんが、温まっていると、それが相手に伝播して、たとえ話している内容が少し不器用だとしても成果が出ます。
そうであるということを、僕は教会のメンバーから学びました。
うちの教会の人たち、何言ってんのかわからないときがあるけどとりあえず熱いんですよねえ。
これ、凄く納得しました!
そうですよね、あったまっていないと、という表現が気持ちよく入ってきました。
私は、興奮するのを見せるのをやめて冷静に説明すると逆に失敗すること多かったです。
何言ってんのか分からなくても、熱さを伝えること大事なんだなって思いました。