まずは神様のことを考えること。自分の仕事はその次だ。

考えで神様と会おうと言いました。まずは自分の心をあけて、天のことを考えること。

そうすれば、心が熱くなって、なんでもできるような自信が湧いて、笑顔になると言いました。

そうしないと、仕事や人のことばかり考えて複雑な心になってしまうといいます。

ちょうどこの1週間、条件お祈りのはじめのこの期間に、自分のことではなくまずは先生のために祈ろうということでやってきましたが、やってみた方はどうだったでしょうか。

僕はまちまちでした。熱い心になった日もあれば、自信がわいた日もあれば、その場にいたはずなのに寝てしまい記憶が無い日もあります。

聖書でイエス様に「祈っていなさい」と言われたのに「まだ眠っているのか」と言われた弟子の気持ちを悟った時間でした。

驚いたのは、昨晩は歌えた「聖霊と共に」の歌詞が今朝はまったく出てこなかったことですね。

それはともかく、熱く祈れた日にはいろいろなことが捗りました。心が冷めないうちに先生に手紙も書いてみました。心はすぐに変わるけど、その時に行ったことは長く残るからです。

まず天のことを考えることで、仕事の品質が上がります。

与えられた条件の中で最善を尽くす

神様を愛することを生活化しなさいという話でした。

何か特別な時だけ愛するのではなく、お祈りしたり賛美することが習慣化することが大事だと言います。

そして、それが難しいのだという話もありました。

維持しながら続けて上がっていくことは簡単ではありません。

お祈りの条件が始まりましたが、それがどんなに良いものだとわかっていたとしても、眠いものは眠い。

今が機会なのはわかっていて、先生が出て来られる最後の条件だってのはよくわかってる。でもねみーんです。

条件を立てた者だけがわかることがある。といわれているけど、その将来にもらえる大きなものより、今の眠気の方がつえーんだよまずそれをどうにかしてくれよ。

このような葛藤があるから、維持しながら次元を上げるのはやさしいことではないことがわかります。

摂理では右肩上がりの図を使って次元が上がっていく様子を表すのですが、6000年の長い歴史として見ればきれいな右肩上がりにはなれど、個人の人生においてはきっと上がったり下がったり、相当デコボコしているのではないでしょうか。人生の終わりに総括してみて、まあなんとか始めより終わりの方が上がっているように見えなくもない。イッツマイライフ、ということもあるかもしれません。

しばらく横ばいでいきなり上げまくる原油相場のような人もいれば、大企業のように堅調に推移していく人もいそうです。

自分次第であるところが大きいです。

与えられている条件の中で最善を尽くしたいですね。

ぼんやり過ごしているといつのまにかチャンスを逃していて何もかもが変わっている

「そんなことは起こらない」と思って油断してると大変なことが起こるよ、という話でした。

良いことも、悪いことも、突然起こるように見えます。

30年前にどれほどの人がインターネットが当たり前の世界を想像していたか。でもその技術自体はずっと前から研究されていました。

20年前に誰がスマートフォンをみんなが持つ世界を想像していたか。でもスティーブの頭の中にはずっと前からその構想があったはずです。

10年前に誰が大震災が起こることを想定していたか。でもずっと昔から少しずつ地盤は歪んでいたはずです。

5年前に誰が仮想通貨がこれほどメジャーになると予想していたか。まだ普及してるとは言いづらいですが、ビットコインが通貨として認められた今、1通貨あたりの価値は60万円以上になりました。8年前にビットコインが誕生した時には1円以下でした。その時に目をつけて1000円ぶんでも持っていたら、今6億以上の価値になっていたはず。

「そんなことは起こらない」そういう考えが、チャンスをどんどん逃していきます。

油断している間にも、神様は漸進的に歴史を進めていきます。そこに敏感にならなければなりません。

神様の愛は自然で暖かく、その他の愛は刺激的で中毒になる。

神様の愛とその他の愛について話してくれました。

神様の愛は無理矢理ではなく自然で、噛みしめるほどだんだん感じられてくる愛で、その他の愛は刺激的なのだと言いました。

最近刺激的なものが増えましたね。東京に住んでいると、そのことをとてもよく感じます。

昨日、会社から帰ってきたらポストにチラシが入っていました。

「なんとか記念キャンペーン!!寿司半額!!」

通常料金に大きくバッテンが書かれ、矢印の先にキャンペーン期間中の料金が赤字で書かれていました。

や、安い!しかも1週間の期間限定だと書いてあります。やばい急がなきゃ!あまりにも刺激的で思わず頼みそうになりました。

しかし、ちょうど今はエステルお祈り中で、僕も少しだけファスティングをしていたところだったので諦めました。

このように、神様の愛でない愛というのは往々にして刺激的です。

教会の牧会者も話していましたが、「どれだけ刺激的であれるかを競争しているよう」な社会ですね。

youtubeも刺激的な映像を撮ったもの勝ち、ジェットコースターも「これ以上やると死ぬ」ギリギリのものがあるし、日本でもカジノを観光資源にしようとしているし。

そうしないとモノが多いから他のものに埋もれてしまうんですよね。商売的には仕方がないことです。

僕が住んでいるところも繁華街なので刺激的な看板が多いです。

ただ、それも明け方にはほとんどが閉まっています。

空いてるのはコンビニと牛丼屋くらいですね。

お祈りの条件が始まって、刺激的なものが何もない時間が増えました。

神様の、自然で温かい愛を感じられる時間が増えました。僕はそういうのが好きです。

この機会に、神様にもっと近づきたいですね。

僕もできるだけ近づこうと、明け方のお祈りと、断食も少ししました。

エステルお祈りということで、旧約聖書にはエステルが断食をした時に民族もそのようにしたのだと書いてあるからです。先生がやるなら僕もやらねばと思いました。

断食といっても気づいたのが遅かったので期間は1日と短かったですが。条件というより美容のためのファスティングみたいになってしまいました。条件開始から3日経ったので先生も終えられたかな?

やってみると、いろいろなことがクリアに見えるようになりますね。ただ、体力がないので見えたぶん行動に移すことができません。これがけっこうもどかしいです。いつも以上に無愛想な反応してた方いたらすいません。お腹すいてただけです。

時に合わせて自分のレベルも上がる

先生の精神について教えてもらいました。

昨日からお祈りの条件が始まったので、お祈りの時間は先生に合わせる形で行なっていますが、やってみてわかるのは「いつ寝るの?」ということです。

寝てからお祈りしに行くわけにもいかないし、お祈りが終わってから寝ても中途半端。

今までの御言葉を聞く限り、先生はお祈りの前に少しだけ寝ているようですが、僕らがそれをやろうとすると3日ともたないということを、やってみてわかります。

先生と走ると鼻血が出るという噂がありますが、このままだと目から血が出そう。顔洗う時目がめっちゃしみるもん。

自分の足りなさを感じるとともに先生の精神力を感じざるを得ません。

ほんとうに、神様が育てた天然高麗人参中の天然高麗人参なのだと思います。

でも、これくらいでビックリしていてはいられません。先生が今の場所を出てこられたらもっと走るでしょう。

今は先生になんでもやってもらう時ではないので、これを機会に基準を上げたいですね。

とりあえずは仕事中にいかにバレずに寝るかを考えるとするか。

110日のお祈り条件が始まりました。

お祈りの条件が始まりましたね。起きられた方も、いきなりすぎて無理だった人も、あと108日ありますから。油断も落胆もしてはいけません。

個人的にはこういう条件は大好きです。明け方の時間、他の誰も、なんの影響も受けない中でお祈りしたり歌ったりというのが好きです。あとは体力さえあれば笑。

しかもこれから寒くなるからね。防寒対策が必須です。前に前に。

それにしても、いきなりきましたね。「今日から始まってます。」の告知を誰が予想できたでしょうか。

しかも、今までたくさん送ってくれていた箴言が急に無くなるし。ブログに何書けばいいのか一瞬わからなくなりました。

ほんとに最近の箴言は量が多くて、このままどんどん次元を上げていきながら先生を向かえるようになる、と思いきや。今日は0個。

こういうことがあるのだと、実感しました。

昔、月明洞の開発を先生がしていたとき、毎日毎日長時間開発に携われていたのに、その日の前日まで普通に開発していたのに、その日、日が変わって急に先生は外国に旅立たれた。そういう話を聞いたことがありましたが、それを実感しました。

その日その時は誰にもわからない。盗人のように現れる主です。

もちろんずっと箴言がないわけではないと思うのですが、また大きく変わったことを感じます。

今度の条件では何が変わるでしょうか。行った人だけがわかるのだといいました。

それぞれ願っていることもありますが、まずは先生のための祈りですね。

『私のそばにいらっしゃるから』の歌ができた情景が浮かんできた。あってるかはわからない。

先週の主日「言葉と行いを柔らかくしなさい」、昨日の明け方の御言葉「聖霊は不可能を可能にする」ときてからの、今日の御言葉「聖霊をわかって受けなさい」でした。

聖霊様について本当にたくさん教えてもらっています。

御言葉で出るということは、世界がそのように変わってきていることも意味します。御言葉はニュース的な意味も持っていますから。

聖霊様は女性の神様だといいますが、今の時勢を見ても、女性らしさが求められていることを強く感じます。

歴史は“強く雄々しく”ということが求められていた時代が長く続きましたが、今は少し強いことをしてしまうとハラスメントになってしまうことが多いです。

各国で女性の大統領が誕生したり、女性の活躍する場が(まだ道半ばとはいえ)増えていることは、今はこれまでと流れが変わっているということだと思います。

聖霊様に関する御言葉がたくさん出ています。聖霊様に関する歌も出ています。

先日、先生が作った歌を一通り見てみました。気がついたのは、初期の歌は勇壮なものが多いのですが(『316合唱曲』、『アルパとオメガ』など)だんだん柔らかくなっているんです。

『私のそばにいらっしゃるから』なんてメロディとしては316合唱曲の真逆です。

聖霊様を歌った曲ですが、なんかフワフワしています。歌詞もちょっと意味がわからない。

主よ どこにいますか
愛しく会いたくて 呼びます(主よ)
返事 ないけど そばにいるから話します

「返事ないけど」がすごく気になる!返事はないけど話し続ける先生!どういうこと?

ずっとこれが気になっていたのですが、今朝起きてすぐ、その歌ができた情景が頭に浮かんできたんです。

先生は歌を作るとき、接見に来た弟子に歌ってみせています。

先生「新しい歌を作ったから。聞いてみて。」

弟子「はい。」

先生「♬〜」

弟子「…」(にこにこ)

先生「主よ どこーにいーますか〜」

弟子「…」(にこにこ)

先生「愛ーし 会いたくて〜 呼びます〜(主よ)」

弟子「…」(にこ)

先生「返事ー 無いーけどー そーばーにー いるーからー」

僕の頭に浮かんで来たのはこういう情景です。和やかな雰囲気の中で、先生と弟子がにこやかに向かい合っている中でできた歌。

先生が目の前にいる人を聖霊様だと思って歌ったのが曲になったんじゃないかなー。

本当にそうかわかりませんよ。でも僕にはそう思えて仕方がない。

先生の御言葉ではよく「神様が人を着て現れること」について話しますし、今日の御言葉でも聖霊様がどう現れるかについての話がありましたね。

ギクシャクする時に必要なものは「聖霊の火」

今日の御言葉は聖霊の炎についてでした。

聖霊の炎が、不可能を可能にします。だから自分の頭でばかり考えていないで、聖霊様を求めて問題を解決しなさい。そう言っていました。

そのことについて、ちょうど昨日体験したことがありました。

金曜日の夜は、聖殿で賛美を歌おうということになっていました。

数日前に、キャンパスの子から「一緒に前に出て歌ってほしい」と連絡をもらっていました。オッケーを出したものの、それ以降の連絡があまりなく、具体的にどういうプログラムになるかはその時になるまでわかりませんでした。

まあ、いつものように前に立って歌えば良いだろう。でも、もしかしたら…

よぎる不安を振り払って、金曜は普通に仕事をしました。

帰り際、月曜までに準備しなければならないものが準備されていないことに気がつきました。焦りましたが、すでに準備できる時間が過ぎてしまっていて、どうにもなりませんでした。

月曜日になんとかするしかない。割り切って会社を後にし、聖殿に向かいました。

月曜日どうしようと考えながら聖殿のドアを開けると。

めっちゃオープンな感じになってるー!

椅子が片付けられてちょっとクラブっぽい仕様になっていました。

かき消した不安がむくむくと頭を持ち上げてきました。

僕に連絡をくれたキャンパスにプログラム内容を聞くと、なぜか僕がバリバリ導くことになっています。

そっこー断りました。

ここで断らないで進み出るのが本当はカッコいいです。はじめから聖霊を受けていたら断らないはずで、僕の判断はまったく模範にならないのですが、その時はどうにもテンションが上がらず無理だと思いました。

とりあえず、マイクを持ってキャンパスの子たちと前に並びました。

うーん、まだ違和感がある。今までパソコンが目の前にあって30cm先までしか見えなかったのに、なんか急に視界開けて10m先まで見えるんだけど。なんや、キャンパスの子みんなドレッシーなんだけど。うまく合わせられるのか。

会が始まりました。

キャンパス「ハレルヤーーー!!!!!今日は教会のみんな一つになって!!賛美で栄光帰していきまっしょーーーー!!!!」

吹き飛ばされました。

(あかん、一曲歌ったら後ろに下がろ。)

立ってるのがやっとの中で、なんとか一曲歌いました。

そしたら不思議と少し落ち着きました。

二曲歌いました。体が温まってきました。

会が進むにつれて、だんだんと場が一つになっていく感じがわかりました。

本当に不思議なことで説明ができないのですが、一言でいえば、これは聖霊の火によるものだということです。

自分の頭では一つになることが不可能だったけれど、聖霊の火を受けた時に心が溶けて場が一つになりました。

速く始めた方がよい。速くやらなくてもなんとかなるのはしばらくの間だけ

10月も半ばに入り、年末が視界にはいってくる時期になりました。

去年の10月からもう1年が経ったと思うと本当に早いと思います。

今朝の御言葉は「速くやりなさい。神様の時は思ったよりも速く、すぐに去る」と言いました。

神様は盗人のように現れるといいます。その時は私たちにはわからないと聖書に書いてあります。わかっているのは「思っているよりも早い」ということです。

このことから考えられることは、普通にしてたら気がつかないということです。

ある人は気がついてその時に合わせて行なって多くの利益を得、そうでない人は気がつかないまま過ごします。

気がつかずに平安に過ごします。何も変わらない穏やかな日々。ああ幸せ。

それが「失った心のまま放って置かれる」という神様の裁きであるのですが、本人は気がつきません。

「神様の裁き?なんもないやん。」と言っていられるのはしばらくの間だけで。

時間がたつほど、時に合わせて得る思慮深い人はどんどん得るようになって、どんなに隠しても目立つようになります。

時を逃した人はその時にようやく気がつきますが、いまさらです。

だから速くやりなさい。です。

でも、ただ速くしようとばかりすると心が荒くなってきます。

だから、今週の御言葉でもあった「柔らかくおこないなさい。」が必要です。

位置が大事だ。たった5マイクロの耳石の位置がずれるだけで体全体が不調になる

今朝の御言葉は、めまいの話から「位置を離れるな」という話をしてもらいました。

ある人が“良性発作性頭位目眩症”にかかられた話から、耳が故障すると目眩がするように自分の位置を離れると目眩がするようになるという話です。

なるほどね。良性、発作、、症…。知ってるそれ。

googleせんせー!!

・めまいを訴える人のほぼ半数は「良性発作性頭位めまい」

・耳の中にある小さな「耳石」が三半規管に入り込み、平衡感覚をつかさどる細胞を乱す。

・耳石は、大きさが5マイクロ(マイクロは100万分の1)メートル程度の塊で、成分は炭酸カルシウムだ。数百個が内耳の前庭と呼ばれる部位の感覚細胞に隣接する。身体が動いた際に感覚細胞を刺激し、加速度を感じさせる重要な働きがある。

だそうです。

つまり、普段は前庭にいる耳石が位置を離れるとめまいの原因になる。

この症状で、元なでしこジャパンの澤穂希選手が一ヶ月休場したんだとか。

たった5マイクロの石が位置を離れるだけで体全体に大きな影響があるんですね。

御言葉では「主は頭、私たちは身体の各肢体だ」と言われますが、私たちのうち誰か1人でも位置を離れると体全体が不調になるということがわかります。

先生も昨日の箴言で「耳鳴り」の話しをしていたので、先生の体調のためにも祈りたいですね。

めまいは強いストレスを受けた時に起こるといいますが、御言葉では霊もストレスを受けると話していました。

ストレス対策には様々な体調管理が必要ですが、霊のストレスにはどうしたら良いでしょうか。

今朝の箴言では「感謝」について話してくれました。

「感謝をすれば認識の方向が変わって『まともな方向』から見る」