神様は諦めずに必ず目的を成す。ただし間違った目的は容認しない

人はよく「できない」と考えますが、神様は「できる」と言います。

神様の考えは「できる」です。私たちがどんなに「これは無理だろう」と思うことも、神様に言わせると「できる」…あっ、昨日と同じことを書いていました。

もちろん間違った方法でやっている場合には「絶対に成就しない」と言います。この体が生き返るとか、雲に乗って神がやってくるといったことは明確に否定されるように。

しかし、そうでなければ「できる」「諦めるな」です。

絶対に言わないのが「もうそのくらいでいいよ」「あなたの実力ならそれで十分だ」「まあ頑張ったほう」

たまにはいって欲しいんですけどね。そういうの言ってください!お願いします!と明け方に祈ったこともありましたが、いっっっかいもありません。

なぜなら、神様は余計なことを言わないからだと今日の箴言では仰っていました。

神様が使う言葉というものがあって、そこには人間の言葉は混ぜないそうですよ。

もちろん、いくらできると言っても急にはできません。徐々に成長していくことが原理原則ですね。

諦めずに、でも焦らずに進んでいきましょう。

勇気を与えてくれる神様

昨日の箴言では、頭に浮かんでくる考えには「自分で考えたもの」と「神様が与えたもの」があるという話しをしてくれました。

自分にとって一番理想的なアイデアは神様が持っているから、分別しましょうという話です。

続いて今日の御言葉でも、神様の考えと人の考えが違うから、神様の考えになるように根本から治しなさいと言いました。

神様と人の考えにはどんな違いがあるのでしょうか。

箴言では時間の使い方について話してくれました。

人は「数秒では何もできない」と考えますが、神様は「できる」と言います。

基本、神様はなんでも「できる」と言います。私たちがどんなに「これは無理だろう」と思うことも、神様に言わせると「できる」。

先生は数秒しかない中でも傑作品を残したり、欲しかったけど運ぶことが到底無理な500トンもある岩を発見したりしました。

神様は「できる」と言います。私たちはいつも「できない」「ムリゲー」「無理ぽ…」「このくらいで勘弁してやる」です。途中でやめる理由をたくさん持っています。

御言葉ではその心を正してくれることがとても大きいです。

どうしてできるのか。御言葉があるからです。普通の人が諦める地点でまたやろうと思うのは、御言葉を聞くからです。

そうやって考えが生き返った人たちが、何事かを成していってどんどん大きくなっていくんですね。

休日こそ自分のために投資できる。投資するにはアイデアが必要。良いアイデアは神からもらう

今日は体育の日なので仕事は休みですが、僕は運動は軽くだけして、いつも仕事でできないことをやろうと思っています。

あれこれやりたいことはありますが、それがどういう結果に繋がるかはわからないことも多いです。

大人になると誰かが面倒を見てくれるわけではないので、自分で道を開かなければならないことが多いです。

その時に大事なのがアイデアです。御言葉ではシンプルに「考え」と言っています。そのアイデア次第でやることがうまくいくかいかないかが左右されます。

子どものころは、アイデアはただの自己満足で構わなかったし、突飛な妄想でも大丈夫でした。むしろそれでこそ周りの人が喜び褒めてくれました。

しかし、大人になってからはアイデアが自分とその周りの運命を大きく左右します。

よいアイデアは自分を良い道に行かせ、悪いアイデアは自分の運命を悪くさせます。

良いアイデアってどうやったら浮かぶんでしょう。

今朝の箴言では、「神があたえる考え」というものがあることについて教えてくれました。

自分の頭で思いつくことがあり、また、神様が与えた考えを自分が受けていることもあるのだそうです。

だから、その考えをうまく分別しなさいと言いました。

神様が与えた考えなら、それを行なうことで成功することができます。先生は月明洞を神様の構想で開発したからケチのつけようがない作品になりました。

先生の思いつきで開発していたら、滝のかわりにプラチックの滝(つまりウォータースライダー)ができていたはずなんです。そのほうがお金がかからず楽だからですが、もしそうなっていたとしたら、聖殿というよりテーマパークになってしまいますね。先生テーマパーク。ケチつけ放題です。

このように、自分の考えではやったところでたかが知れていますが、神様がいつもアイデアを与えているのでそれを掴みなさいと今朝は話していました。

ちなみに、アイデアの語源はイデア(理想)です。

理想的なアイデアをもらって今日の1日も過ごしたいですね。

心のきれいな人は他の人の心もきれいにする

ソムニの便り

最近は少し寒い日もあります。秋の長い夜も手伝って、すこしものさみしい気持ちになることもあります。

この前、仕事帰りに「寒いなあ」と思いながら歩いていると、向こうから女性がベビーカーを押しながら歩いていました。

その女性の顔はすこし疲れているようでした。僕と同じように「寒い」と思っていたのかもしれません。

ベビーカーは対面式だったので中の様子はわかりませんでしたが、すれ違う時にちょっと中をのぞいてみたら、赤ちゃんがつるんとした顔でお母さんを見上げていました。

可愛すぎて見入ってしまいましたが、赤ちゃんは顔も目もつるんっとしたまま、ずっとお母さんの顔を見ていました。

寒かった心があったまりました。ベビーカーを押していた女性も、疲れてはいるけど赤ちゃんが支えになっているように見えました。

赤ちゃんは人の心を溶かしますね。

今日の御言葉で「心と行いを柔らかくしなさい」とおっしゃり、その時のことを思い出してしまいました。

荒っぽく接すると相手も荒っぽい反応を返してきます。柔らかく接すると、あの赤ちゃんのように人の心も柔らかくします。

そうした心にするために、なんども磨きなさいと御言葉で言いました。

ゴツゴツした岩も、なんども磨かれることでツルツルになります。

この聖句を思い出しました。

「傷つくまでに打てば悪い所は清くなり、むちで打てば心の底までも清まる。」
‭‭箴言‬ ‭20:30‬

心がツルツルな人は、それなりのかん難を乗り越えてきた人が多いです。

かん難にあって壊れて悪くなる人もいますが、より磨かれて出てくる人もいます。ちょうど土に強い圧力がかかって宝石になるように。

先生は、あらゆるかん難を乗り越えてきました。

紙一重の差なので、自分を磨くことは本当に難しいですが、あきらめずに自分をなんども磨いていきたいですね。

時が合ってこそ力が出る

今朝の御言葉では、食事を適時に摂ってこそ力が湧いてやるべきことができるように、御言葉も聞くべき時に聞いて力を受けてこそ、実践できるとおっしゃいました。

ちょうど昨日、昼食を摂る時間があまりなくてパン一つだけで済ませ、仕事が終わってすごくお腹が空いたので少しご飯を食べてしまい、そのあとメンバーの送別会でもう一度夕食を食べましたが、恵みはたくさんもらったものの胃もたれもたくさんあり力が出ない状態でした。

リズムが崩れたままでいると健康によくないですが、霊の食物である御言葉も同じです。

時に従って働かれる神様をつかんで行いたいですね。

神様はあなたを唯一無二の存在として接する

人間の価値は神様にしかわからないんだとおっしゃいました。

人は人に頼ろうとするけど、人はその人本来の価値まではわからない。わかるのは神様だけだと言います。

しかも、人は人を使い捨てのように接することがあるから気をつけてという話もありました。

この前、友人がファイナンシャルプランナーの講演に行ったといって教えてくれた話が面白かったのでご紹介します。

私たちは朝から夜まで働いてお金を稼ぎますね。

その稼いだお金ですが、20%から30%、多い人だと50%が税金や保険料で差し引かれます。

差し引かれたぶんを自分のものとしてもらえますが、そのお金を使おうとすると8%(もうすぐ10%)の消費税がかかります。

そして、年老いてお金が使えない、人に譲ろうとするとまた相続税がかかります。

果たして、一生働いたぶんのうちどれだけが残っているのでしょうか。

という話。

お話をしてくれたのがファイナンシャルプランナーなので、そこからお金を殖やす話になっていくのですが、この話だけでも「自分たちの人生って使い捨てなのかなあ」と思えてしまいますね。

使い捨てのように扱われて、心を病んでしまったり自ら命を絶ってしまう人もたくさんいます。

そういう時に忘れてはならないのは、神様にとってはあなたが唯一の存在だということです。

先生も、あらゆる人に軽んじられて、でも神様が自分を愛していることに気がついたから神様のために生きているし、その愛を毎日伝えています。

1日の計は明け方にあり

明け方の大切さを教えてもらいました。1年の計は元旦にありというし、歴史の基準はそのはじまりで決まりますが、1日の基準は明け方に決まるんですね。

明け方に起きられなかった日は世間の荒波に流されてしまうことをすごく感じます。

この前おきられなかった日は、仕事中にポケモンの話をたくさん聞いてしまいました。その人はポケモンを各シリーズ800時間ずつくらいやっているらしく、レートが20番代だそうです。

おそらく世界でも有数の腕を持っていると思ったので、世界大会に出たらどうかとかライブ配信してみなよとか勧めてみました。

勧めながら話すべきことが違うだろうと思ったのですが、その日は明け方に起きられなかったのでもっと為になる話をしようとかそういう気分ではなかったのです。

今となってみればもったいない時間の使い方をしました。

そのように、自分の軸になるものがないと残るものがありません。

身の回りのことから大きなこともわかる

今朝の御言葉では霊界について1つ教えてくれました。

霊界は、千層万層に分かれています。それぞれの行いに応じて行く場所も違うけど、結局は天国と地獄の2つが存在するようになるのだと言いました。

難しいですね。僕も霊の世界がわかってる人ではありません。

でも、それぞれの行ないによって行く場所が違うというのは少しわかる気がします。今までも、友人と僕で進路が違ったし、あの人とこの人では生き方が違うことを見ているからです。

霊界にもいろいろあるという話を聞くと、僕は時空の狭間とかに行って時の番人となりこの世の栄枯盛衰を静かに見ていたいと思っているのですが、そういう霊界はあるのでしょうか。

御言葉には出ていません!

霊界については難しいことも多いですが、箴言では身の回りのものから大きなことがわかるので見つけてみなさいと言いました。

今日はどんなことがわかるかな。

神様の考えではなくて自分の考えだと作品ができない

今日の御言葉は、霊的に認識することについてでした。

外側だけを見て判断する人が多いから、内側を見なさいという話です。

日曜日の御言葉がちょうどその内容だったので、それを再確認させる話でした。

日曜日は、何かをする時、自分の考えでやるのではなくて、神様の考えでやってこそ満足ができるという話でした。

先生のはじめの考えでは、月明洞の滝はプラスチックで作る予定だと言っていました。ここが一番ツボだったんで仕事中も何回も思い出しちゃいます。

月明洞にプラスチックの滝、というかウォータースライダーがあったらどうだったろうかということについて真剣に考えています。

広大な山々を縫うようにして走るウオータースライダー。

直径は3.16kmあります。作っている時には気がつかなかったけど、出来上がってみると偶然にもこの長さになったのでした。

滑りながら、月明洞の様々な松や岩、湖を眺めることができるという趣向です。

「あ、御子岩…」しゅんっ。一瞬で通り過ぎます。

初めての人は見逃してどこに何があったか覚えられないのですが、ガイドの方は慣れているので的確に説明ができるのです。

そういうのあったら楽しそうだなあ。ドラえもんの道具にウオータースライダー製造機みたいのがあって、裏山から学校まで滑っていくから。

でも、神秘さとか雄大さのカケラもないだろうね。

そして、月明洞でお祈りをしている人や、集まりをしていても、ウオータースライダーで滑る人の楽しそうな声が聞こえてきて集中できないわけです。

結論。神様の考えでやったほうが良い。

経緯を作ることが大事

今朝は、毎瞬間経緯を残しなさいという御言葉を伝えてもらいました。

経緯、わかりやすくいえば思い出とも言えるかもしれません。

その経緯が積み重なって、あとあとまで語り継がれると、歴史になります。

STORYが積み重なったものがHISTORYです。

だから、大きな歴史をなすにも、毎瞬間毎瞬間の小さな経緯づくりが大切です。

牧会者の方が、新しい歌が作られた経緯を話してくれました。

ある警察官の弟子が、「摂理に騙される人が多いので、気を引き締めるように歌を作ってください。」といってできた歌があるという話でした。

そうした経緯を知ると、歌もずっと意味深いものに感じられますね。

僕も歌をたくさん覚える中で、経緯といっていいかもしれない出来事をたくさん経験しています。

先生の歌を覚えるのは大変です。普通のポップミュージックとはメロディも歌詞も違うからです。

だから、なんども聞くことになるのですが、それでも覚えられないとだんだん飽きてきます。

すると、勝手に替え歌を作るようになって適当に歌うようになります。

なんども聞いてると気持ちが塞いでくるので、それを振り払うために、歌詞の節目に「ヘイ!」とか入れてみたり。

または、もとの歌詞が「最高の位置 最高傑作だ〜」というところを、「○○(兄弟の名前)は 最高傑作だ〜」に替えてしまったり。

そのようにして気を紛らわしながら、なんとか覚えているわけです。

そこで気がつきました。

「これが、御言葉が間違って解釈される原因である」と。

今までのほとんどの宗教では、時代を追うごとにもともとの意味が曲がって解釈されてしまうという現象が起こっています。

なぜそのようなことになるのか、私はよくわかっていませんでしたが、「原本を学んでもはっきり分からなくて、そのうち飽きて勝手に作って楽しんでいるのだ」ということです。

僕と神様の経緯はだいたいこんな感じです。