神様の構想通りにしてこそ神様も自分も満足

今日の御言葉では、神様の構想通りにしてこそ神様も満足し、自分も満足できるのだと言いました。

自分の考えでやったのでは、神様も満足できないし自分も満足できません。

例として、月明洞の開発の話をしていました。

先生はもともと、今のように開発しようとは考えていませんでした。

コンクリートの観客スタンドを作り、プラスチックの滝を作ろうとしていたと話していました。

滝をプラスチックで…てそれ滝じゃなくてウォータースライダー…

というツッコミが頭に浮かんできましたが、黙って御言葉を聴き続けていたところ、お金がなくてそうしようとしていたんだと言っていました。

当時の経済力を加味して考えたら、それは当たり前な判断だと思います。自分の故郷に、バレーボールコートを作って、観客が集まるようにスタンドを作って、ウォータースライダーも作る。弟子たちを連れてきて遊ぶ。十分です。

しかし、神様の構想はそうではありませんでした。もっと理想的で、でも、ずっと困難な作品を神様は望んでいました。

ウォータースライダーを作るだけなら業者に頼んでサクッとできたかもしれませんが、岩を立てる過程では何度も崩れました。でも、最後までやり遂げました。

このことを通して、自分の考えがあるうちは満足ができない、神様の構想通りにしてこそ満足ができるんだと言いました。

ただ、注釈がありました。注釈じゃなかったのかもしれませんが、この御言葉を間違って解釈しないようにするための話が、冒頭にありました。

騙される人が多いんだという話です。

私たちは「自分の考えではダメだ」という話を聞くと、自分の頭に浮かんでくる考えを無条件全部かなぐり捨ててしまうことがあります。日本人は基本的に自信がないですから。

だから誰かが「こうした方が良い」というと、ちょっと違うかなと思っても、きっと自分が間違っているんだと判断して、相手の言う通りにしてしまいます。

そういう詐欺で、日本だけで毎年数百億円も被害が出ています。

これについては、御言葉で「愚かだ」と言いました。

自分の考えをなくして、神様の構想を受けることで満足が得られます。サタンを受け入れてしまうと害を受けます。

正確に分別したいですね。