信仰は人の心を通わせるツールでもある

「イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。」‭‭マタイによる福音書‬ ‭22:37‬

この聖句の意味を教えてもらいました。

今までも御言葉の中で何回も引用された聖句ですが、今日はまた一段深く教えてくれました。

信仰生活をしていると、ふと考えるだけの信仰になってしまいますが、行ないがなければなりません。

どのような行ないが必要なのか。僕には書けることがない。

今日の御言葉をブログで書くのは難しいね。

原典を読んだらすごく納得できる内容です。摂理の御言葉聞いてみてね。

ということで話題を変えちゃお。

今日は別の教会で礼拝を捧げました。

とても大きな教会でした。

あんな教会がほしい!

でも思ったんです。

将来的に、少子化が進むから空き家が多くなると言われています。

そうしたら教会が入りやすくなるんじゃないかなあ。

あっちも教会こっちも教会。

コンビニより教会が多い。

いいね。

もっと気軽に信仰生活ができる世の中になるといいな。

摂理の教会は人が良いです。

他の教会に行ってみて改めて感じました。

何より「同じことを学んでいる」という共通項があるのが大きいよね。

今の世の中って価値観が多様化しているから、誰がどういう人なのか把握することがすごく難しいんです。

この人は良い人なのか悪い人なのか。良い人悪い人外側同じだ。確認することがすごく大変。

それが「摂理の御言葉聞いている」という1つがあるだけでパスできることがあまりに多いです。

たくさんの書類が揃わないと通らなかった審査が、カード1つで簡単に通れるような感じ。

それが信仰の良いところですね。

ただ、それがゆえにあつかましくなってしまったり、中には利用してやろうと考える人もいるにはいるけれど。

それでも、今は多くの価値観を結ぶ仕組みが必要な時代なので、やっぱり信仰が必要なのだと思う。

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