「信じる」ということが歴史を作る

日曜日の御言葉で「心と思いと命を尽くして神様を愛しなさい」と言いました。

そうはいっても「やれやれ、愛したって愛さなくったって変わらないよ。」と思うじゃないですか。

しかし、昨日の御言葉では「信じないことが一番大きな罪なんだ」と言いました。

そうはいっても、「そんなこと言って怖がらせても無駄だよ。」って思うじゃないですか。

ところが、今日の御言葉で「信じることで歴史になる」と言いました。

確かに、愛さなくても生きていけるし、信じないことで罪だと言われてもすぐに何かあるわけではありません。

でも、それは人生を小さく考えた場合の話です。

自分の人生も、お父さんお母さんがいて、おじいさんおばあさんがいて、と、小さな歴史を形作っています。

でもそれは何かの証拠があって形作られているわけではなくて、ただ「信じる」ということで形成されています。柔らかい言葉を使うなら「家族同士の信頼」とか「家族愛」とかでしょうか。

僕も、うちの両親のことを「遺伝子の型」を確認してから家族だと認めたわけではありません。

そう信じているから家族であり、僕の一族は続いています。

この「信じる」ということを拡大したら民族にもなり、国にもなり、そして歴史にもなります。

「信じる」というのはとても大切なことなんですね。

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