「ADHDでもいいんだ。」と、既成の概念が変わった今日

いつもそうですが、今日の御言葉は既成の概念をぶっ壊す内容でした。

主題は「神経を鋭利にしなさい」

宗教を語る人が「神経を鋭利にする」というと、苦行を通して己の邪念を振り払った先に手に入る“超人的な神経”というようなイメージがあります。

「精神一到火もまた涼し」という言葉もあるくらいで、暑い寒いなんてのは弱者の言い訳だというのが多くの宗教人を含め精神論を語る人が今まで主張してきたことです。

今日の御言葉はそういった従来の精神論を真っ向否定してきました。

精神が大事なのは今までと変わりません。その考え方が違います。

「暑いのを我慢してこそ本当の精神が手に入る」のではなく「暑いと感じることは神経が鋭利であることだから、神経をうまく治めなければならない。」

ADHDにも触れていました。「心があちこちに変わるのは神経が鋭利だからだ。」といいます。

感受性が豊かだからいろんなことに気を使えるのであるということです。

むしろ、「いろんなことに神経を使って頭が痛いからといって神経を使うことをやめたら、鋭利にやるべきことができなくなった」ということを先生はいいました。

繊細な仕事は、いろんなことに気を使えてこそ成し遂げることができます。ひとつのことだけではなくふたつみっつ、たくさんのことに配慮して行う必要があります。

だから、そのような鋭利な神経を無理やり押さえつけることをするなといいました。

これは、従来の「一点突破型」、まわりを吹き飛ばしながらでも突き進んでいくやり方とは正反対です。

世間の流れを見ても、昔は「モーレツ」とか「男は仕事だけ、女は家事だけに集中する」ことが理想像としてありましたが、今はそれについて疑問視する声が上がっています。

今日の御言葉を聞いて、いよいよその流れが加速していくんだなということを感じました。

それにしても、今日の御言葉は先生ご自身の今までのやり方を否定する内容でもありました。

私たちが聞いている御言葉は、狭く薄暗く、あまりにも暑い、または寒い中で、先生が書き送ってくれているものです。

以前の御言葉によれば、寒くて手がかじかんで動かないときには手をかんで動かしていたとか、一日中同じ姿勢でいて体が固まってしまったとか、書類に埋もれて足を伸ばして寝られないとか、そういうふうにしながらでも御言葉を守り行ってきたといいます。

その話を聞いて、私たちは「先生の精神はすごい。見習わなきゃ。」と思いました。

なのに、今日の御言葉ときたら!

「押さえつけておいて『神経の練達になる』と言ってはいけない。」・・・だと!

衝撃だよ。

少年ジャンプでも「大きな壁を乗り越えてこそもっと強い自分になれる!」ってやってるのに、そういうのに僕らは感動してきたというのに、なんか方向が違うよ。

そんなの青春じゃねえ!そうでしょ。

でも、それが今の時代の流れなんですね。「気合と根性」だけでは何かを起こすことができない時代になっています。

少年ジャンプの売り上げが落ちているのも、そういった「伝えるべきメッセージがずれている」というのがあるのかもしれません。

1990年代のジャンプなんてね、熱量がすごかったですよ。スポーツ漫画で試合が白熱しすぎて怪我するじゃないですか。

ガシャーン!(怪我)

控えの選手「っっっ!こ、交代だ!!至急たんかをもってこい!」

選手「いや、大丈夫だ。続けさせろ・・・」

控えの選手「いや、無理だ。試合は今日だけじゃない。少しは体のこと考えたほうが・・・」

選手「大丈夫だって言ってんだろ!!!つべこべいわねえで続行だ!!!」

それでその選手が奇跡を起こして大逆転っていうのがかっこよかったんですよ。

それが、そういうのが!ジャンプが古いものになるなんて想像もつかねえ!俺の、青春が。

でも、ここは変えていかなければならないところです。

神様が時代によって働き方を変えているように、季節が秋から冬へとめぐるように、私たちもそれにしたがって、考え方や行いの服を衣替えしなければならないときです。

先生がまっさきに過去の自分を否定して、古いものを葬ったのだから、私たちもそれについていかなければなりません。

今日の御言葉は「神経を押さえつけない。」ということがメッセージのひとつでしたが、いくら「感受性が豊かなことは良いことだ」といっても、なんでもかんでも心の向くままに神経を使っていたら大変なことになります。

いまはたくさんの情報があふれている時代で、あれもこれも取り入れていたら精神を消耗してウツになってしまいます。

年末だし、いろんな誘惑もあります。

だから、うまく治めなさいといいました。

脳は見たもの聞いたものをそのまま貯蔵するという御言葉もありました。

鋭利な神経はそのままにしつつ、その神経をよりよいところに使えるようにうまく治める。調節が難しいですが、そのことに挑戦していかなければなりません。

その方法として、「環境を良くする」ということが挙げられていました。

例として、「椅子」。

椅子は人間が楽な姿勢でいられるために作ったものです。昔は地べたに座っていたのですが、より楽でいるために椅子は発明されました。

椅子って実は奥が深くて、家具屋ではいいものはすごく高い値段で売られています。

それは居心地がいいからということもありますが、それだけではなく、姿勢が楽になることで「やるべきことに集中できるから」です。

フリーランスの人はよく言います。「まず良い椅子を買え。仕事の効率がだんぜん違う。」

目的をなすための手段として「環境を良くする」ということ。これは大事なことです。「目的をなす」こと一つだけを考えていたらなかなかうまくできないことも、「環境を良くする」というもう一つのことにも神経を使ったら、結果として目的をなしやすくなった。

最近の御言葉の流れですね。僕も今日はいつもよりブログの文字数が多いですが、それはいつもスマホでブログ更新しているのを今日はPCに「環境を変えた」からです。本当は音声入力がしたい笑。

なにはともあれ、早く先生が今のところを出て、月明洞という「良い環境」で御言葉に集中できる日が待ち遠しいですね。

“「ADHDでもいいんだ。」と、既成の概念が変わった今日” への1件の返信

  1. 私もADHDです。神経に関しての御言葉を聞いて、いろんなところに注意散漫になってしまうのを、プラスに捉えられるんだなーと思いました。もっと自分の個性を活かしていきたいなと思うきっかけとなりました。ありがとうございます

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