LINEの投稿に神経を使うように、お祈りの内容にも神経を使う

お祈りは対話だといいますね。

でも、いつも対話が成り立つわけではありません。

それは、私たちが見当違いのことを言っている場合があるからです。

LINEでのやりとりでも、うまくかみ合わないときがありますね。そういうときは既読だけついて流れてしまうことがあります。

お祈りも、かみ合っていないときには答えが得られないときもあるのだと、今日の御言葉では言っていました。

だから合わせなさいと。

私たちは、LINEに投稿するときにはいろんなことに気を使いながらやります。

顔文字とかスタンプとか使って楽しげな投稿をしてるけど、それを打ってる本人の顔は、たいていめっちゃ真顔なんじゃないでしょうか。

僕も「これでいいのか?やっぱりこっちにすべきか。」と神経を鋭利にして熟考してしまいます。

一生懸命考えてなんとか投稿した後も「これでよかったのか。」いろいろ考えてしまいます。

それで相手からちゃんと返信があると、ほっとしたりします。

そのように、お祈りもいろんなことに神経を使わなければいけません。

愛する人にすることだからです。

「期待した答えがもらえなかったら嫌だな。」と思う気持ちも正直あります。僕はLINEとかいまだにあまり好きではありませんw

でも、自分から動いたときに反応があるんだと思うと、多少不器用でもやったほうが良いことがあります。

LINEもそうだし、ブログもそうです。そしてお祈りも。

一人からはじめることだけど、その行ったことが結果を持ってきます。

だから、真心で継続的にやることですね。

その姿は、先生から学ぶことができます。

失敗しても立ち上がって継続する先生の精神です。

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