わからないまま行なったことの代価が十字架だった

十字架は私たちの選択だといいました。

私たちが、その運命を決めた。

イエス様は十字架の前で「彼らを許してください。彼らは自分が何をしているのか、知らないでいるのです。」と言いました。

そのように、自分のしていることがどう繋がってどういう結果を招くのか、知らないでいました。

知らないで行なったことが、実は罪だった。それをイエス様が代わりに負った。

人は人生を知らないで生きます。

間違った道を行っているのか、正しい道なのか、わからないで進んでいます。

その道を教え、また運転してくれるのがメシアなんですね。

今もお祈りをしています。あとで、「本当に祈っておいてよかった」と思う日が来ると言います。

「私は道であり真理であり命である。」

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