価値あるものになるかどうかは私たちがお互いを信じるかどうかしだい

兄弟愛についての御言葉でした。

争っていないで、競争ばかりしていないでお互い仲良くしなさいと、先生はいつも言っています。

争うのはもったいないですね。これだけ大きな御言葉をもらっているのに、それを自分の周りの小さな世界にしか適応していないのはあまりにもったいないです。

こう言うのはダメかもしれませんが、たかが数千人しかいない今の摂理の中で誰が上か下かなんて何の意味もないことです。

御言葉は全世界の人、後世にまで該当するものなのに。摂理をもっと盛り上げなければならないのだから、自分の立場ばかり主張していてそれはできません。

個人の次元をあげるのは一対一の愛が大きいですが、摂理としての次元をあげるときにはお互いの愛が不可欠です。

僕はお金のことばかり考えている人なのでお金で例えると、お金は信用の塊なので、信用が上がれば価値が上がります。円もドルも証券もビットコインも同じです。コミュニティが熱心なぶん、どんどん価値が上がっていきます。

そして信用が無くなり、愛が冷めるととたんに価値が下がっていきます。

2009年に摂理は大きな試みにあい、お互いの不信感が募っていくなかで先生は「このままでは摂理が破綻してしまう」とおっしゃいました。世界では時を同じくして信用不安が起こり、100年に1度といわれるほどの金融危機に陥って、あらゆるものの価値が暴落しました。

摂理として価値が上がるか下がるかは、兄弟愛によるところが大きいです。

御言葉に価値がどれくらいあるか、先生はこの世にない単位でその大きさを表しますが、それが実現するかどうかは、どれだけ兄弟愛が大きくなるか、盛り上がっているかによります。

「和睦」が発表されてから一年以上たちました。先生が出て来られるときにはそれを実践している姿を見せたいですね。

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