メディアに気をつけなさいといいました。
年末年始は面白い番組がたくさんやっていますからね、気をつけなければいけません。
メディア自体が悪いわけではないんです。それに接する私たち自体に問題があります。
たとえば、ちょっと必要なことを調べるつもりが1時間ネットサーフィンしてしまったとか。
面白い記事を読んでいたら関連記事の案内があって、興味があるからそこをクリックしたらそこには商品案内ページがあって、そこから別にはじめはほしくなかった商品を買ってしまったとか。
目的はそこじゃなかったでしょ。ということで、「メディアに気をつけなさい」です。
ずれていくことを神様はすごく嫌います。
なぜなら、ずっと昔にエバがだんだんずれていって、ついには堕落してしまったからです。
そこから大変な思いをしながら救いの歴史をつくってきたからです。
だから、どうかまたずれるようなことがあってほしくない。
そういうやきもきした心情で人間を見ています。
メディアは必要なものです。
私たちが自分では知りようもない情報を教えてくれるツールです。
誰かが、どこかへ行って、見て、取材して、編集したものを見ています。
つまり、必ず誰かの手が加わっています。何かしらの意図が入っているんです。
これは私の意見ではありませんよ。大手出版社に働いている方がおっしゃっていたことです。
ちょうど昨日、教会のLINEグループに出版社の方が書いた手記が回ってきたので読みました。
それによると、どんな取材であれ、記事であれ映像であれ、それは何かの一部分を切り取ってものです。
カメラが右を向けば右のものが映る。そのかわり左にあったものは見切れてしまいます。
編集上、左のものを入れる時間がないこともあるし、世間体を考えてそれをカットすることもあるそうです。
ほんとうに公正な取材はできるものだろうかと、そこには書かれていました。
私たちは自分ひとりでは世界で起こっていることを知ることはできません。
だからメディアを通して、誰かが取材してきたものをわけてもらって、自分のものとしています。
だから、私たちがメディアに接するときには「どういう意図があるのか」まで考えなければなりません。
御言葉も、広い意味で言えばメディアです。御言葉で話される内容は多岐にわたりますが、そこに含まれている意図、神様の愛を感じることが大事です。